巨石の立石に注目!山陽道の宿場町・海田宿で、江戸時代には大名も立ち寄った広島県指定重要文化財の書院建築と広島県指定名勝の庭園。
千葉家庭園(旧千葉家住宅)について
【毎月第2・第4土曜日の前日から連続する4日間(金曜〜月曜)に公開】
「旧千葉家住宅」(きゅうちばけじゅうたく)は広島市に隣接する自治体・海田町にある広島県指定重要文化財のお屋敷。江戸時代中期に作庭された庭園も『千葉家庭園』(ちばけていえん)として広島県指定名勝となっています。
2023年4月に初めて訪れました。その際の写真を紹介。
JR広島駅からは2駅9分、距離にして約6km。マツダ本社からも程近くの海田町は古くからの交通の要衝で、江戸時代には山陽道の宿場町・海田宿として栄えました。当時、大名の参勤交代の宿舎として利用されたのがこの「旧千葉家住宅」。
江戸時代には「神保屋」の屋号で酒造業を営んでいた千葉家。元は下野国真壁にルーツがあり、その先祖は平安時代の武将・平忠常(上総介/平将門の親戚)と伝わるとか。千葉四郎/千葉小次郎の別名を名乗った平忠常から後の下総国千葉郡を治める千葉氏に派生し、千葉常胤などを輩出。
その一族出身の千葉信胤が室町時代の永正年間(1504年〜)に安芸国に移住。武士として大内氏、毛利氏:小早川隆景に支えた後に海田に移住し商家に。以来、町の年寄・組頭・天下送り/宿送り(広島藩や幕府の書状/公文書や荷物の宿駅)などの要職を務め、現代には海田町長なども歴任されました。
旧山陽道に面し、本陣/脇本陣や大名の御茶屋に準ずる格式だったこのお屋敷。江戸時代中期の1774年(安永3年)に造営された座敷棟(書院)がその中心で、そのほか主屋・角屋・庭園(泉庭)などから構成。立派な式台玄関がその面影を伝えます。(なお酒造業を営んでいた当時は蔵なども複数あったそう)
大名や上級武士の休憩所となった座敷棟。波兎/雲竜などをモチーフとした欄間のデザインがとても素敵な数寄屋風書院建築で、襖絵も広島藩御用絵師・山野峻峰斎により手掛けられました(現在見られる絵はリメイク)。
そんな座敷の前に広がるのが広島県指定文化財の庭園。実は歴史は座敷棟よりも古いそうですが、座敷棟が造営された際にあわせて現在の姿に改修されたそう。ビューポイントである座敷棟から見て、心字池が縦長に配されている池泉回遊式庭園で、その最奥には築山と滝石組があります。秋の紅葉、春にはツツジ〜サツキの花々が楽しめる庭園。
…が、この庭園の一番のアイキャッチで他の庭園でも類を見ないのが、座敷正面にあるどデカい立石。江戸時代の商家がこの巨石をこんな風に立てられたのか…?しかもその裏に回ってみるとこの立石がつくばいになっている。この立石の存在が決して「きれいにまとまった」…等の普通の言葉では言い表せない、強烈・異様さを放っている!その先の浴室棟が池にせり出しす形になってるのも◎。
2011年に千葉家から海田町へ寄贈され一般公開がスタート。邸宅・庭園の見学のほか、町の歴史文化を伝える資料・パネルや近代〜昭和時代に千葉家で使われていた道具やしつらえが展示されています。
海田町出身で「日本人初のオリンピック金メダリスト」となった織田幹雄の名前を冠する「織田幹雄スクエア」(織田幹雄記念館)が隣接。こちらを拠点に海田宿の町巡りを楽しんでみて。
(2023年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)