“真岡木綿”で栄えた豪商による重厚ななまこ壁の近代別荘建築と、明治モダンな日本庭園。栃木県指定有形文化財。
岡部記念館“金鈴荘”について
「岡部記念館“金鈴荘”」(おかべきねんかん・きんれいそう)は江戸時代~明治時代にかけ“真岡木綿”で栄えた栃木県・真岡の町並みに建つ明治時代の近代別荘建築。栃木県指定有形文化財。現在は文化施設として公開されており、池泉回遊式の日本庭園も残ります。(※建物内部の見学は土日祝のみ)
2021年10月に2年ぶり、コロナ以降では初めて北関東の地を訪れた際に初鑑賞。『廣澤美術館』の後に下館から初めて真岡鐡道に乗って、真岡にも初めて訪れました。
江戸時代には真岡藩の城下町でもあった真岡の町。だいぶ現代化はされているけど、メインストリートは多少なりともその面影を残しています。
この岡部記念館は真岡木綿の問屋として栄え栃木県で1~2を争う高額納税者となった江戸時代後期に創業『岡部呉服店』の二代目・岡部久四郎が明治初期から10年以上かけて別荘として造営したもの。その10年には大工や職人を東京で3年間修行させたり、時間をかけて材料を集めたり…といった時間も含まれています。
その後、戦後の1952年(昭和27年)まで岡部家の別荘として迎賓館や呉服の展示会場として使用された後、昭和の終わり、1988年(昭和63年)まで割烹料理店“金鈴荘”として利用。1988年の後半に真岡市が借り受け、市の歴史や文化遺産を伝える「岡部記念館」として開館しました。知らなかったけど結構長いこと公開されている場所だったんですね…。
その建築はなまこ壁の土蔵造りが特徴。小江戸・川越でお馴染み、防火目的の蔵造りだけど、これまで紹介した栃木県の庭園・邸宅では見たことがなかったし(宇都宮の『旧篠原家住宅』は蔵造りか)、なまこ壁は北関東ではあまり流行らなかったそうなので貴重な姿。
銘木がふんだんに使われた屋内へ。横に長い格子ガラス戸が圧巻で、横並びのぼたん・あじさい・ゆきの間からはガラス戸越しに庭園を眺めることができます。書院造りの各座敷には近代日本画家・佐竹永稜の襖絵や地元栃木の画家・田崎早雲、矢橋天籟、高久靄崖の掛け軸、宇都宮藩家老・県六石や藤田素堂の天袋と格式の高さが伝わる絵画/美術品に囲まれた空間。
元々接待目的で建てられ後に料亭として使われた――ってことで、“生活空間”って感じはしないなーってのは居ても感じるんだけど、有島武郎の小説『或る女』の主人公・早月葉子のモデルとされる佐々城信子(国木田独歩の最初の妻)が一時この屋敷に暮らしたことがあるとか。
ちなみにこの貴重な建築も2011年の東日本大震災でひび割れや瓦の落下、建物の歪みが生じ、その後の約2年間で約7,000万円強の費用を掛けて修復や耐震補強が行われました。
敷地面積約3,300平方メートルのうち半分を占めるのが庭園。明治時代からの姿をほぼそのまま残す池泉回遊式庭園。お座敷の前にかなり広い芝生のスペースをもうけている点なんかは明治の東京で流行りはじめたデザインを早々に取り入れた、かなりモダンな庭園だったんじゃないか?芝生の中を貫く飛び石・延段もとてもかっこいい。
建物から正面に見て奥にゆるい築山があり、建物の左手側(東側)からその奥へ向けて小川が流れていく風流な庭園。築山付近では岡部家当主が『日光東照宮』から譲り受けたというヒナソウの花も咲きます。
全然土地も背景も違うけど筑豊の炭鉱王の庭園にも似ていて、建築ともども「真岡にこんな庭園あったのか…!」と驚いた。鹿沼の『掬翠園』ともども「北関東のもっと知られて欲しい庭園」枠!
またその敷地を囲む石塀には地元で産出される(が、現在はもう取れない)磯山石を用いているのが貴重なことから真岡市の登録文化財にもなっています。
真岡鐡道に乗って今回はここだけしか立ち寄らなかったけど、次回は益子や茂木まで行きたい~。
(2021年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
真岡鉄道 北真岡駅より徒歩10分・真岡駅より徒歩15分
JR宇都宮線 石橋駅・宇都宮駅より路線バス「真岡市役所前」バス停下車 徒歩2分
〒321-4305 栃木県真岡市荒町2162 MAP