おふさ観音庭園“円空庭”

Ofusa Kannon Temple Garden, Kashihara, Nara

“奈良公園の父”前部重厚が監修した日本庭園のほか、春・秋には2000種類以上の薔薇が見られるバラの名所。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

おふさ観音“円空庭”について

「おふさ観音」(おふさかんのん)は国の特別史跡『藤原京跡』から徒歩10分ほどの場所にある寺院。写真は訪れた冬の写真ですが、毎年5〜6月・10〜11月には境内で2,000種類以上ものバラが楽しめるバラの名所。そして本堂の裏にある日本庭園“円空庭”は、明治時代に『奈良公園』の整備を立案・尽力したした前部重厚により監修されたもの。

2020年の年始、国の重要伝統的建造物群保存地区「今井町」の町並みを歩いた足で初めて訪れました。正式名称は普通に(?)「観音寺」。江戸時代初期の1651年(慶安3年)、地元の“おふさ”という娘さんがその頃この場所にあった“鯉ヶ淵”という池の中に観音様を発見。池に小さなお堂を建ておまつりしはじめたのが建立のきっかけなんだそう。

正式な創建は江戸中期に入ってからの1780年代で、立派な本堂も明治時代に地元の方々の寄付により建立されたもの。なので自分が紹介した中では比較的新しい寺院であり、『著名な僧や時の権力者が建立』したとかではない、珍しいパターン。なお現在は高野山真言宗の別格本山であり、この十一面観音像は空海作とも伝えられています。

境内を奥に進むと池泉回遊式庭園“円空庭”があります。監修したという前部重厚さん…この人がまた情報が断片的にしかない。奈良県公式の『せんとくん通信』によると奈良公園の整備に尽力し“奈良公園の父”とも呼ばれたそうだけど、Twitter史上、bot除くと2回しかつぶやかれていない…。
橿原市の歴史が綴られているPDF(これ)にある情報とコトバンク(講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」)の情報を総合すると、

・幕末の小房村生まれ
・大和・芝村藩の藩儒(儒学者)になる
・小房村役人⇒大阪に出て大阪府会議員
・明治維新後一時「大阪府」に組み込まれた奈良を県として独立させた
・独立後は奈良県の役人となり、奈良公園の整備を進言・担当する
・その後は八木町長をつとめた

…みたいな感じでしょうか。前後してるものもあるかも。造園家ではなく行政側のプロデューサーだったという感じかな。

庭園に隣接する「茶房おふさ」も大正時代の建築で、お庭を眺めながらお茶をすることも可。なお高野山より移築された茶室「禿亀庵」とその露地庭“一露庭”も。今回は真冬だったので寂しい姿だったけれど…春の写真を見ると緑とノムラモミジの赤が映える。また季節を変えて訪れたい。そしてバラ好きの方も季節にはぜひ!

(2020年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR桜井線 畝傍駅より徒歩10分強
近鉄橿原線 八木西口駅より徒歩15分
近鉄大阪線 大和八木駅より徒歩20分(駅近辺にレンタサイクルあり)

〒634-0075 奈良県橿原市小房町6-22 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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