中世石見国の戦国武将・益田氏の歴代当主が信仰した禅寺の茶室・庭園は沙羅双樹の名所。
妙義寺庭園について
【庭園拝観は要事前連絡】
「萬歳山 妙義寺」(みょうぎじ)は中世石見国を治めた益田氏の菩提寺。益田氏の居城『益田七尾城』(国指定史跡『益田氏城館跡』)の麓に位置し、その境内は「七尾城附妙義寺境内」として島根県指定文化財(史跡)。日本遺産『中世日本の傑作 益田を味わう -地方の時代に輝き再び-』の構成文化財。本堂の背後に回遊式の日本庭園と茶室があります。
2021年7月、約5年ぶりに島根県最西の市・益田へ。益田にはかの“画聖”雪舟等楊の代表作“雪舟四大庭園”のうち2つが残りますが、それ以外の寺院庭園としてこちらの寺院を初めて拝観しました。
その歴史は、鎌倉時代の文永年間(1264~1275年)に臨済宗の禅寺として創建。室町時代に入り、1394年(応永元年)に益田家10代目当主・益田秀兼(益田兼家)が自らの菩提寺とした際に曹洞宗に改められました。
その後も歴代当主・益田宗兼、益田藤兼らに保護され、戦国時代末期の天正年間の頃には15の末寺を有する益田の大寺院の一つに。
その後ときは流れて幕末。益田は第二次長州征討(幕長戦争)の“石州口の戦い”の舞台となり、妙義寺には長州藩に陣が置かれました。お寺には参戦した長州藩士の墓所が残り、中でも乃木三蔵は“乃木将軍”乃木希典の叔父。妙義寺にお参りに来られたこともあったそう。
庭園は手前に広い平庭、奥には深い池泉(現在は枯池)と斜面に石組や十三重石塔が配された回遊式庭園。池のほとりには本格的な茶室も(名前は読めなかった…)。客殿が割と新しそうで、飛び石の中には伽藍石なども配されているから近代〜昭和以降に改修された庭園かな。茶室へと至る飛び石や園路も色んなものがあって楽しい。
今回訪れた時はきれいに刈り込まれたばかりのサツキたちに目がいったけど(も少し早く来れればピンクの花できれいだったはず…)、この寺の見どころはナツツバキ(沙羅双樹)。6月に白い花が見頃を迎え、例年は茶席などをもうける『沙羅の花をめでる会』が行われているそう。
お寺の向かいには益田に雪舟を招いた益田兼堯の銅像も。またお寺の裏山の“桜谷”には中世の石造物も多く残されているそう。山城など歴史好きのハイキングにもぜひ。
(2021年7月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR山口線・山陰本線 益田駅より徒歩25分強(駅にレンタサイクルあり)
益田駅より路線バス「益田高校前」バス停下車 徒歩2分
〒698-0017島根県益田市七尾町1-40 MAP