湊川神社 石庭

Minatogawa-Jinja Shrine Garden, Kobe, Hyogo

武将・楠木正成を祀る“楠公さん”。水戸黄門こと徳川光圀が建立した墓碑などが国指定文化財(国指定史跡)。地元・神戸の対馬造園店・対馬正一作庭の庭園も。

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湊川神社について

「湊川神社」(みなとがわじんじゃ)はJR神戸駅の目の前に鎮座する神社。鎌倉時代〜南北朝時代に活躍した武将・楠木正成を祭神として祀り、地元では“楠公さん”の愛称で親しまれています。境内に残る「楠木正成墓碑」は水戸黄門/水戸光圀こと徳川光圀により建立されたもので、国指定文化財(国指定史跡)。
同じく国指定史跡の「楠木正成戦没地」(殉節地)の対面に地元・神戸の対馬造園店・対馬正一さんにより昭和50年前後に作庭された枯山水庭園/石庭があります。

お正月には100万人を超える人が初詣に訪れるという、神戸/兵庫有数の参拝客をほこる神社。立ち寄ったのは初めてではなかったのですが、前回はこの庭園の存在に気づいておらず…その後作庭者もわかったので紹介!

神社としての創建は明治時代の1872年(明治5年)ですが、そこから500年ほど歴史をさかのぼって南北朝時代の1336年。のちの室町幕府初代将軍・足利尊氏後醍醐天皇方の代表的な武将・楠木正成が争った「湊川の戦い」がこの地で行われ、楠木正成は尊氏に敗れて自害。

そこから約260年経った桃山時代の文禄年間(1592〜1596年)、豊臣秀吉の「太閤検地」の事業で片桐且元が楠木正成の墓所を発見。
以来、江戸時代には尼崎藩主・青山幸利/松平忠名(桜井忠名)など地元の人々に守られ、日本各地から水戸黄門(徳川光圀)/松尾芭蕉シーボルトといった著名人が訪れました。国指定史跡の『楠木正成墓碑』は水戸黄門によって神社に先駆けて建立されたもので、“嗚呼忠臣楠子之墓”の字は水戸黄門の自筆。

幕末には吉田松陰横井小楠久坂玄瑞三条実美勝海舟木戸孝允坂本龍馬新島襄新選組・伊東甲子太郎など幕末の獅子や明治維新に関わった人物が多く墓所を訪問。
湊川神社の創建を主導した一人が、明治維新の主要人物であり初代兵庫県知事でもある伊藤博文。また墓所の前にある石灯籠は大隈重信江藤新平らにより奉納されるなど“明治維新”に精神的な影響を与えていたことが感じられます。

神社創建後も明治天皇昭和天皇、ロシア帝国皇太子ニコライ2世小泉八雲など国内外の著名人が参詣。横山大観前田青邨富岡鉄斎堂本印象棟方志功平櫛田中といった近代〜昭和のアーティストによる作品や東郷平八郎の書などが奉納され、宝物殿で楠木正成ゆかりの品々と共に鑑賞することができます。
なお社殿などの建造物は太平洋戦争で多くを焼失、現在の本殿は戦後の1952年(昭和27年)の建立。特徴的なデザインの“表神門”は戦前の1942年(昭和17年)建立。

そんな本殿と社務所を結ぶ渡り廊下から眺められ、国指定史跡「殉節地」の前に御神木のクスノキを中心とした枯山水庭園があります。作庭者は地元・神戸の「対馬造園店」二代目・対馬正一さん。昭和50年頃の作庭。昭和50年と聴くとそこまで古い印象を受けないかもしれないけれど、まもなく作庭から50年を経過する庭園!

この庭園の先にある数寄屋風の和風建築「尚志館」も戦後の1953年(昭和28年)の竣工で、その名は文人・徳富蘇峰の命名。ふだんは見学できないけれどお茶室も備えていて、露地庭園の姿がうっすらと見える。

そのほか境内には明治時代に海外から持ち帰られ移植された、樹齢150年超の「日本最古オリーブ樹」も。植物好きな方もチェックしてみて!

(2022年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR神戸線 神戸駅より徒歩4分
神戸高速鉄道 高速神戸駅より徒歩1分
神戸市営地下鉄西神・山手線 大倉山駅より徒歩4分

〒650-0015 兵庫県神戸市中央区多聞通3丁目1-1 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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