拾翠亭・九条邸跡庭園(九條池)

Shusuitei / Kujo-tei Ruins Garden, Kyoto

京都御苑の最南に残る江戸時代の庭園。栄華をほこった藤原氏の流れを汲む貴族/公家・九条家が残した茶室/数寄屋建築と池泉回遊式庭園“九條池”。

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拾翠亭・九条邸跡庭園(九條池)について

【開館日は木・金・土曜日】
「拾翠亭」(しゅうすいてい)は『京都御苑』の最南端にある和風建築。平安時代に栄華を誇った藤原氏をルーツに持ち、代々朝廷で摂政・関白をつとめた“五摂家”の一つ・九条家(九條家)の江戸時代の御屋敷の一部で、建物前に広がる“九條池”もかつて九条邸の庭園の遺構。
2023年1月の雪の日の写真を追加して紹介!

さかのぼると藤原鎌足(中臣鎌足)へと行き着く“藤原北家”の流れを汲み、九条兼実以降の平安時代〜江戸時代までの数百年間に掛けて多くの摂政・関白をはじめとする要職を輩出。鎌倉時代には源氏以降の“摂家将軍”にも人を送り込んだ日本の公家の最上級・九条家。(大正天皇の妃・貞明皇后は九条家の出身)

桃山時代に豊臣秀吉の都市計画により現在の京都御所の南方に居住を移し、江戸時代には庭園を含め約35,000平方メートルの敷地面積をほこるお屋敷を構えました。この広さは同じく京都御苑の最南に位置する皇族の邸宅跡『閑院宮邸跡』の敷地より広い。幕末にはこの九条邸が開国に向けた江戸幕府側と朝廷側の交渉の舞台にもなりました。

しかし明治維新で九条家も東京に移住。当時3,800坪/12,500平方メートルあった建物もその殆どが移築/取り壊しとなり、現在残る「拾翠亭」は当時の100分の1に過ぎない規模(40坪/130平方メートル)。ですが、建築・庭園ともに江戸時代の公家/貴族の邸宅を伝える貴重な文化遺産。
*ちなみに、東京に移築されたお屋敷の一部は現在は『東京国立博物館』(トーハク)内に移築されており、『九条館』という名で例年春期・秋期に期間限定で公開されています。

この拾翠亭は江戸時代後期に造営された数寄屋風書院造り建築で、広間/控えの間/小間/二階座敷の4部屋で構成。主に茶会や歌会など社交・遊興の場として利用されました。(*なお、現在も茶室・歌会などの和カルチャー系のイベントの貸室利用も可能。)

広縁や二階から広大な池泉回遊式庭園の九条池を見下ろすロケーションからはかつての九条家の栄華を感じられます。
かつては拾翠亭からの庭園の眺めには東山連峰や大文字山を借景として取り入れていたそうで――2020年頃までは周囲の樹高が高くなってその借景も見えなくなっていたのだけど、今回(2023年1月)には2階から少しだけ「大」の字が見えた。剪定したのか、落葉して偶然なのかどちらだろう。

なお施設(+庭園の一部)は木~土曜日のみの公開ですが、九條池の周辺(+高倉橋)は24時間365日自由に回遊することができます。夏場に高倉橋側から拾翠亭を眺めるとサルスベリのピンク色の花との組み合わせが◎!
また池のほとりに建つ小さなお社『厳島神社』の特徴的な唐破風の石鳥居は国の重要美術品に指定されて、京都三珍鳥居の一つに挙げられます。あわせてチェックしてみて。

(2018年3月・9月、2020年10月、2023年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

京都市営地下鉄 丸太町駅より徒歩4分
京阪本線 神宮丸太町駅より徒歩12分
最寄りバス停は「烏丸丸太町」バス停下車 徒歩3分

〒602-0881 京都府京都市上京区京都御苑3 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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