紀伊田辺藩主“安藤帯刀”ゆかりの寺。日本一のだるま坐像が人気の“だるま寺”の瀧石組と借景の美しい庭園“天真苑”。秋にはアサギマダラの飛来する丘も。
興禅寺(だるま寺)庭園について
「大雄山 興禅寺」(こうぜんじ)は和歌山県南部の上富田町にある臨済宗妙心寺派の寺院。境内にある巨大なダルマ座像が有名で“だるま寺”の通称で親しまれています。本堂・庫裡の奥に回遊式庭園“天真苑”があります。
2023年4月に初めて訪れました。またこの興禅寺(だるま寺)庭園の修復/維持管理に関わっているドイツ人庭師:ドミニク・シュミッツさんのインタビューが庭園専門誌『庭NIWA』vol.252に掲載されます。当サイトでの記事はそれとは別に、お寺・庭園そのものの紹介。
南紀/紀南地域の中心・紀伊田辺から熊野古道/熊野本宮へと向かうバスに揺られておよそ40分ほど。お寺の歴史は古く、創建は平安時代の898年と伝わります。
以来幾度と移転を繰り返し、現在地に移ったのは江戸時代初期の1666年(寛文6年)。当時の良遂宗真和尚は紀州徳川家・徳川頼宣や“安藤帯刀”の名で有名な紀伊国田辺藩藩主・安藤直清といった盟主にも信仰されたとか。聖観世音菩薩立像や寺伝を伝える100点以上の古文書が「興禅寺文書」として町指定文化財となっています。
その後、昭和の戦前戦後には荒れた時代もあったそうですが、前の御住職:(故)吉田啓堂和尚により再興。山門の前に鎮座する白いだるま像(平和達磨)は1972年〜1974年に建立されたもので、高さ5メートルの“だるま坐像”(座った姿)としては日本一なのだとか。またその白い外観はただのコンクリートやモルタルではなく、太平洋戦争の戦跡を100以上訪れ、そこで収集した遺骨や現地の砂を塗り込めて、世界の平和を祈願したもの。
本堂・庫裡の奥に吉田啓堂和尚が入寺した昭和時代中期に作庭された庭園“天真苑”があります。手前に白砂の枯山水、奥に斜面を活かした瀧石組とつつじ/サツキの刈込。そして奥の山の借景が美しい庭園!
その後、植栽が大きくなるとともに滝石組が隠れてしまっていたそうですが、近年修復剪定されその姿と借景が共に楽しめるようになりました。斜面のサツキ/つつじだけでなく、参道にはあじさい、そして頭上のモミジなど四季の花木を楽しむことができます。秋にはアサギマダラが飛来する丘も!
故・吉田啓堂和尚と和歌山県知事のインタビューが少し前まで和歌山県の公式ウェブサイトにも掲載されていました。現在は消されてしまったようなので、Webarchiveのリンクがこちら。とても興味深い活動をされていた和尚さんだったので、気になった方はぜひ併せて読んでみて。
(2023年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)