木曽義仲が眠る寺院に重森三玲が作庭、2019年に国登録文化財庭園となった“日本一広い石庭”。大名茶人・金森宗和作庭の“万松庭”や小口基實による枯山水庭園も。
興禅寺庭園「看雲庭」について
「萬松山 興禅寺」(ばんしょうざん こうぜんじ)は中山道六十九次37番目の宿場町・福島宿の『福島関所』から徒歩10分程に位置する寺院。源義仲/木曽義仲を始めとする木曽氏代々の菩提寺で“木曽三大寺”の一つ。昭和を代表する作庭家・重森三玲により作庭された枯山水庭園「看雲庭」が2019年に国登録記念物(名勝地関係)に。また茶道宗和流を興した大名茶人・金森宗和による庭園「万松庭」や、日本庭園協会賞受賞の現代の作庭家・小口基實作庭の枯山水庭園があります。
何度か訪れていますが、2024年に再訪したので写真を追加して改めて紹介。
その歴史について。室町時代の1434年(永享6年)、木曽の領主・木曽家の12代目・木曽信道が木曽義仲を追善供養するために荒廃した寺院を再建する形で創建(再興)。開山には鎌倉の『建長寺』から圓覚大華和尚が迎えられましたが、その後江戸時代に臨済宗妙心寺派となっています。
木曽家や福島関所代官・山村家(⇒代官屋敷はこちら)の菩提寺として繁栄しますが、明治・昭和の大火で往時の建築は残らず、現在の伽藍は1927年(昭和2年)の大火以後に再建されたもの(焼失前の「勅使門」は旧・国宝クラスだったとか)。
■看雲庭(5~12枚目)
庫裏で受付し、方丈の前に広がるのが1963年(昭和38年)に重森三玲により作庭された「看雲庭」(かんうんてい)。“日本最大級の枯山水庭園”“一木一草も無い石庭としては東洋一の広さを誇る”と言われる大きな枯山水庭園で、重森三玲の庭園ではおなじみの紀州~四国の青石(緑泥片岩)15個による石組とセメントを用いた弧(砂紋)、京都の白川砂を用いながら、木曽谷の風景/借景とも調和する《雲海に浮かぶ山岳》が表現されています。この庭園を眺める方丈前の空間が市松模様の石敷な点も“モダン”。
この庭園の作庭以後の昭和後期~平成・令和の時代にはより広い石庭が作庭されていますが(同じく日本一を謳う『金剛峯寺“蟠龍庭”』、『神勝寺 無明院庭園』、三玲の弟子にあたる齋藤忠一さん作庭の『廣澤美術館“つくは野の庭”』など)、木曽の山々と看雲庭の美しさは変わりません!
あと地味に、本堂前の七石の石組も重森三玲作じゃないかな…。(どこかと似てる…)
■万松庭(13~17枚目)
方丈の西側~茶室の前に広がるのが江戸時代中期に作庭されたと伝わる池泉鑑賞式庭園「万松庭」。その作者は茶道宗和流の祖で、京都や岐阜(美濃/飛騨)に庭園・茶室を残す桃山~江戸初期の大名茶人・金森宗和とも言われます(時代が少し違うのはさておき…)。こちらは頭上のイロハモミジや斜面のドウダンツツジの紅葉が秋には楽しめる庭園。(この庭園を眺める石畳部分も重森三玲っぽい?)
■昇龍の庭・須弥山の庭(九山八海の庭)(18~23枚目)
看雲庭の下部にあたる、以前の順路序盤には小口基實さんにより平成年代に作庭された2つの枯山水庭園「昇龍の庭」「須弥山の庭」(九山八海の庭)もあります。小口基實さんは長野県を拠点としながら「日本庭園協会賞」受賞歴もある現代の作庭家。三玲さんの枯山水とはまた異なる、迫力ある石組を眺めることができます。
そんな合計4種類の庭園のほか、宝物殿には木曽最古といわれる古文書・絵画・展示物をはじめ、現代のアーティストによる作品も展示されています。また大名茶人・細川幽斎が立ち寄った寺院という縁から細川護煕元首相による石碑も(⇒細川家ゆかりの庭園はこちら。)。「まだ見ぬ重森三玲の名作」、ぜひ見に訪れてみて。
(2015年10月、2018年11月、2024年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)