“新日本三大夜景”北九州を代表する夜景スポット・皿倉山の中腹に残る、通常非公開の重森三玲作庭の露地庭。
大正寺庭園について
【通常非公開】
「龍興山 大正寺」(たいしょうじ)は“新日本三大夜景”にも選ばれた北九州市の代表的夜景スポット・皿倉山の中腹にある臨済宗大徳寺派の寺院。作庭家・重森三玲が晩年の1972年(昭和47年)に作庭した露地庭が残ります。通常非公開ですが、2020年12月に特別に拝観させていただきました。
まず触れたい点。それは太宰府市の『光明禅寺庭園』の紹介の中で“九州に唯一残る重森三玲作庭の枯山水庭園”と書いていたこと。それは光明禅寺の庭園が福岡県の文化財に指定された際の指定文にも書かれていたことなのですが…他にも残っていた…!という話。
今回北九州市を訪れたのが5年ぶりで、実はその時も大正寺を訪れました。その頃は今と比べて用意周到じゃなかったので…アポ無しでチャイムを鳴らして、不在だったので八幡駅からの道の途中にある村野藤吾の『福岡ひびき信用金庫本店』だけ寄って次の目的地へ向かったのですが…その時も内心「遺構かなにか残っていないかな」と思っていた。そして今回の北九州の前にGoogleマップを眺めていたら…あれ、「大正寺 枯山水庭園」というスポットができてる…!
もしそれが重森三玲さんの作品でなくても純粋にどんな枯山水庭園か見たい…と思ってアポを取り、通常非公開の庭園を今回特別に拝観させていただきました。
結論から言うとそれはれっきとした重森三玲さんの庭園であるということ。これまではあまりそのことについて周知されておられなかったそうですが、先代のご住職が「これが三玲さんの庭園だということはどこかに残さねばならない」と話し、つい近年庭にそのことを記した碑が建てられました。
大徳寺×重森三玲といえば『大徳寺 瑞峯院庭園』。大正寺さんも瑞峯院さんとも繋がりがある(ご一緒に修行されていた)そうですが、この庭園を手掛けることになったきっかけはそちらではなく茶道・華道による繋がりだったと。
その特徴的な、波を表現した赤いモルタルの曲線、小さな赤石を並べた飛び石による庭園はまさに重森デザイン。一方でトレードマークともいえる巨大な立石による石組はここにはなく、あくまで“茶庭”に特化したもの。茶室と数寄屋風造りの座敷もその時にあわせて建立されたもので、茶室側の欄間も意匠がかっこいい。
お寺の歴史について。元は小倉にあった『大隆寺』と『円照院』というお寺を1917年(大正6年)に合併&この地に移し、“大正寺”として新たに創建(再興)。いずれも小倉藩主・小笠原家ゆかりの寺院で、円照院は初代藩主・小笠原忠真の正室・五姫が六地蔵を安置して“地蔵軒”を号したものを、二代目藩主・小笠原忠雄によって寺院に改められたもの。
大隆寺の歴史はさらに古く、小笠原忠真の祖父にあたる戦国武将・小笠原貞慶により自らの菩提寺として下野国に創建。その後小笠原家が信濃→明石→小倉と移るのにあわせ移築されました。
創建の際には福岡藩主・黒田家の菩提寺『崇福寺』が払い下げを受けた福岡城祈念櫓を末寺であるこのお寺に移築。約60年間にわたり観音堂として使用していたそうですが、福岡県指定文化財となった後の1983年(昭和58年)に福岡城の元の場所に返還・再移築。現在大正寺には記念碑と代わりに“通玄庵”が立ちます。
あと水色の近代建築風のお堂も気になった。こういう感じのレトロな仏堂、木屋瀬宿でも見たんだよな…。
今回訪れたのが夕方。西向きの建物の障子を閉めると、そこにはゆらめく木陰が映り込んでとても美しかったーーああ、きっとここまでデザインされていたんだろう。高台にせり立つ寺院における重森三玲庭園というのはこれまで見たことなかったなぁ。その他にも親切に様々なお話を聞かせていただきました。北九州行く時にはまた拝観しに訪れたいです。ありがとうございました!
(2020年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR鹿児島本線 八幡駅より徒歩20分(行きは上り・帰りは下り)
小倉駅より路線バス「国際村交流センター前」バス停下車 徒歩8分
小倉駅・博多駅より高速バス「高速皿倉山ケーブル」バス停下車 徒歩10分
〒805-0063 福岡県北九州市八幡東区東台良町19-1 MAP