源氏・木曽義仲の末裔で江戸時代に幕府や尾張徳川家に仕えた旗本・千村氏の代々当主が江戸時代に作庭した可児市指定名勝の文化財庭園。
八十一隣 春秋園/木曽古文書館について
「八十一隣 春秋園」(くくり しゅんしゅうえん)は源氏・木曾義仲(源義仲)の子孫で、関ヶ原の戦い〜江戸時代には徳川家康や尾張藩主・徳川義直に仕えた旗本・千村氏の御館に江戸時代中期に作庭された庭園。可児市指定文化財(名勝)。木曽古文書館の入館には事前予約が必要。
2022年初夏、犬山から初めて名鉄広見線に乗って可児市〜御嵩町を訪れました。中でも気になっていたのが、江戸時代には木曽義仲の末裔・千村家が治めた久々利の城下町/陣屋町。どの駅からも遠く、コミュニティバスの本数も心許ない…ということで、御嵩町からレンタサイクルで足を運びました。(岡山・足守の『近水園』と同じパターン…)
木曽義仲から6代目の孫・木曽家村の5男で“千村”姓を名乗った千村家重を祖とする千村家。そこから12代の千村政直の子・千村良重は戦国時代には木曽義昌・木曽義利に仕える一武将でしたが、関ヶ原の戦いで徳川家康方で功を挙げ、合戦の後は江戸幕府の旗本として登用(それと同時に尾張藩の久々利衆に)。
陣屋を築いた美濃国可児郡のほかにも土岐・恵那・南信州・遠州の船明を領地とし、以後千村家は幕末〜明治維新まで続きました。
中世に築かれ、織田信長もその一角に逗留したという「久々利城」の麓に築かれた『千村陣屋』。現在その一帯には可児郷土歴史館、木曽古文書館、そしてお食事所の織部庵が建ちます。要事前予約の木曾古文書歴史館では木曽家・千村家に伝わる江戸時代を中心とした古文書を所蔵・展示、織部庵も一風変わった“酒樽”を客室にしていてすごく良さそうだったのでお食事したかったけど、残念ながら休業していた…。
そして岐阜県道84号土岐可児線を挟んで“鶴の池”“亀の池”からなる『春秋園』。江戸時代中期の1756年頃に久々利千村家の六代目・千村政成に作庭した花木園を前身として、1828年(文政11年)に九代目・千村仲雄(千村春風軒)が池泉回遊式庭園に改修されたもの。1846年(弘化3年)には10代目・千村仲泰が「春秋園十二境記」を記しました。
公園として公開されている北部の“鶴の池”は周囲に当時の石垣を残し、下段に『名古屋城二の丸庭園』を思い起こす石組の池泉庭園、上段には“花木園”の名残を感じる池庭からなる広大な庭園…なのですが、山が近い立地や水の多さからか、イノシシ?によって地面が相当掘られている状況。
平成年代に農学博士・澤田天端さんの下で修復作業が行われたそうですが、そこから10年・20年経った今は(たぶん普通に考えたら)危ないので足を踏み入れない方が良い…という状況。
たとえ200年続いた“文化財庭園”でも、次の100年続くかはわからない・徐々に消えゆく難しさ…。新しい“日本庭園”が誕生する一方で、現在進行形で歴史的庭園は失われている。興味持った方は訪れてみて。
(2022年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
名鉄広見線 明智駅より“おでかけしよKar Kバス 光秀桃山陶線”「可児郷土歴史館」バス停下車 徒歩1分(*土日祝のみ)
名鉄広見線 御嵩駅より約5km(駅にレンタサイクルあり)
〒509-0224 岐阜県可児市久々利1644-1 MAP