“金閣”こと舎利殿をリフレクションする回遊式庭園・鏡湖池は“庭の国宝”国の特別名勝。室町幕府三代目将軍・足利義満が残した、世界遺産・京都の代表的庭園。
金閣寺庭園(鹿苑寺庭園)について
金閣寺(きんかくじ)の通称で知られる「鹿苑寺」(ろくおんじ)は室町時代に室町幕府三代目将軍・足利義満が築いた“北山殿”(北山山荘)をルーツとする寺院。『銀閣寺(慈照寺)』や『清水寺』などと並んで世界遺産『古都京都の文化財』に構成される京都を代表するお寺/建造物。「金閣」を写す池泉を中心とした回遊式庭園が“庭園の国宝”こと国の特別名勝(及び特別史跡)に指定されています。
言わずと知れた京都の観光名所。何度も訪れていますが、ここでは主にコロナ禍で来場者の少なかった時代の貴重な金閣寺の姿を紹介。
その歴史について。足利義満が現在の金閣寺を建立する以前の鎌倉時代には西園寺公経をはじめとして太政大臣/右大臣/左大臣を立て続けに輩出した有力公家・西園寺家の別荘(山荘)“北山第”がありました。
現在の拝観順路の後半に“安民沢”(あんみんたく)という、2つ目の大きな池が現れますが、これは鎌倉時代の北山第に造営された浄土庭園の遺構なのだとか。
鎌倉時代〜南北朝時代と時代が移ろうと西園寺家が衰退し、この北山の別荘も西園寺家から将軍・足利義満の手に。そして通称“金閣”と呼ばれる“舎利殿”を中心に北山殿(北山山荘)の造営がはじまったのが1397年(応永4年)。その2年前、38歳で出家していた義満は51歳で亡くなるまでの10年以上をこの北山の山荘で過ごしました。
義満の死後、一時だけ足利家の別荘として使用された後、義満の遺言に従って夢窓疎石を開山とする禅寺に。現在では『相国寺』の塔頭寺院(子院)になっています。
その後、応仁の乱/戦国時代の戦乱/江戸時代にたびたび京都を襲った大火/明治時代の廃仏毀釈…などの被害から幸運にも逃れ続けた金閣・舎利殿。昭和のはじめに初めて「国宝保存法」が成立すると国宝に指定されたものの、戦後の1950年(昭和25年)に放火事件により焼失…。現在の建物はその5年後(1955年)にそれ以前の記録に基づいて再建されたもの。
数百年残されていた貴重な国宝が失われたこの事件などをきっかけに、毎年1月26日の『文化財防火デー』がスタートしました。
なので実は(?)金閣寺は建築は国宝・文化財ではなく、庭園だけが国宝級!
■鏡湖池
庭の国宝“鹿苑寺庭園”の中心は金閣・舎利殿の前に広がる大きな池泉回遊式庭園“鏡湖池”。約6,600平方メートル(約2千坪)の中に鶴亀島、葦原島などの大小の島々や当時の大名が寄進したことから名付けられた畠山石、赤松石、細川石などの奇岩名石が配され、神仙蓬莱の世界が表現されています。
衣笠山の借景や、風が弱い日に見られる水面にリフレクションする金閣が◎!
■方丈・方丈庭園(15〜17枚目)
拝観順路で鏡湖池を回遊する最中、右手側に見えるのが金閣寺の本堂に相当する方丈。
江戸時代初期の住職・鳳林承章の代に大規模な境内修復整備が行われた金閣寺。『修学院離宮』や『京都仙洞御所』を造営したことでも知られる後水尾天皇(後水尾上皇)の寄進により1678年(延宝6年)に再建されたのがこの方丈。その前には白砂による大きな枯山水庭園が広がります。その一角には足利義満のお手植えと伝えられる“陸舟の松”も。京都三松の一つ。
以降の順路も、足を止める人は少ないですが、足利義満がお茶の水に使った“銀河泉”、手洗いに使った“巌下水”、“龍門瀑”など古庭園の痕跡を伝えるものが点在します。
■茶室「夕佳亭」(28〜30枚目)
順路の最終盤、境内の高台に位置する茶室が“夕佳亭”(せっかてい)。元は前述の鳳林承章が後水尾上皇を招く際に?献茶のために造営した茶室で、手掛けたのは当時の著名な大名茶人のひとり・金森宗和と伝わる宗和好みの茶室。(現在の建築は明治時代の再建)
高台から眺める、夕日に映える金閣が特に良き…といったことから命名されたそう。
そのほか、近年には順路最序盤に“安民沢”を思い起こさせる大きな窪み(池泉庭園の遺構?)も出現中。今も進化中の世界遺産・金閣寺。一度で満足と言わず、久々にでも二度・三度と訪れてみて。
(2009年3月、2016年2月、2020年2月・4月・12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
嵐電北野線 北野白梅町駅より徒歩20分
JR嵯峨野線 円町駅、京都市営地下鉄烏丸線 北大路駅より約2.5km(徒歩30分強)
最寄りバス停は「金閣寺前」バス停下車 徒歩5分
〒603-8361 京都府京都市北区金閣寺町1 MAP