毎年春・秋に特別公開。室町幕府三代目将軍・足利義満が創建した寺院の江戸時代作庭の庭園。京都市指定名勝。
相国寺裏方丈庭園・開山堂庭園について
【庭園は春・秋に特別拝観】
「相国寺」(しょうこくじ)は室町幕府三代目将軍・足利義満により創建された臨済宗相国寺派の大本山寺院。世界文化遺産『金閣寺(鹿苑寺)』、『銀閣寺(慈照寺)』の本寺としても有名。
その庭園『相国寺裏方丈庭園』は京都市指定の文化財。『開山堂庭園』や国指定重要文化財の法堂とともに例年春と秋に期間限定で特別公開されます。2021年秋は9月18日(土)~12月12日(日)。
その特別拝観、2020年は春・秋ともに非開催…。境内にある美術館『相国寺承天閣美術館』は先に訪れたけど、文化財の庭園は2021年春の特別拝観で初めて鑑賞しました!
その歴史は室町時代前期の1392年(明徳3年)に夢窓国師(夢窓疎石)を開山として完成(実際の造営は将軍・義満と強い信頼関係にあった禅僧・春屋妙葩とその弟子・義堂周信が担当)。正式名称は萬年山相國承天禅寺。
足利義満により造営された“花の御所”こと室町第に近接する形で造営され、幕府により定められた“京都五山”の第二位という格の高さをほこりました。
その後室町~戦国時代にかけては度々火災による焼失と再建を繰り返し、現在残る建造物で最も古いものは桃山時代末期、1605年(慶長10年)に“黒衣の宰相”西笑承兌と豊臣秀頼によって再建された法堂。
日本最古の法堂とされ外観は普段から見ることができますが、特別拝観では内部の狩野光信筆『蟠龍図』(鳴き龍)を拝むことができます。
江戸時代にも1788年(天明8年)に京都を襲った“天明の大火”で法堂を除いた建造物の多くを焼失。
1807年(文化4年)に桃園天皇の皇后・恭礼門院の旧殿“黒御殿”が下賜され開山堂となり、時同じくして再建された方丈、勅使門、庫裡、総門、鐘楼などが京都府指定有形文化財。そして京都市指定名勝の『相国寺裏方丈庭園』もその時に作庭されたものです。
■表方丈庭園
再建された方丈の南側が“表方丈庭園”。一面の白砂のシンプルなお庭ですが、これは禅の境地“無”を表現したものとされており、白砂が太陽を反射させることで室内を明るくする・そして正面の法堂を映えさせるための効果もあるそう。
そして方丈の室内の江戸時代中期~後期の京都の画家・原在中による杉戸絵や襖絵を筆頭に、相国寺と縁深かった伊藤若冲から絵画を学んだ115代住職・維明周奎による襖絵、京都御所の“清涼殿”から賜った土佐派・土佐光起の襖絵なども(建物外から)鑑賞できます。
■裏方丈庭園
一面の白砂から一転、苔庭の方丈西庭を見ながら方丈裏庭園へ。東西に横長に広がる“枯流れ”を中心にした庭園で、その深く掘られた枯流れが実際の広さ以上の奥行きをもたらしています。
数ある京都の庭園の中でもこの奥行きに対してこの深さの枯山水って類を見ないのですが(しいて挙げればすぐ近くの非公開寺院『大聖寺』の庭園かな~)、これは大きな方丈の屋根から流れ落ちる雨水の処理という側面もあるのだとか。そんな風に水や湿気が吹き溜まる場所、流れの周囲の苔むした姿も美しい。
■開山堂庭園(開山堂前庭)
方丈とは別棟の開山堂。その名前の通り開山の夢窓疎石を祀るお堂で、疎石のほか、普明国師や足利義満の像も。
お堂の南側に広がる庭園は“龍渕水の庭”と呼ばれ、手前の白砂の広がる石庭と奥のモミジの足元に広がる緩やかな苔の築~その中を通る流れという二段構えの庭園。この水路はかつては水が流れ、その水は『京都御所』内の池泉庭園へと続いていたそう。そして左手側には大文字山の風景が美しく開放的!
現在、相国寺の御用達をつとめられている庭師/植木屋さんは京都・嵯峨の“植昭”長岡造園さん。特別拝観には含まれていない“書院庭園”も作庭されています(拝観できる範囲内では裏方丈庭園の脇にある中庭もそうかな?)。紅葉が色づく秋の特別拝観も訪れたい!
(2021年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
京都市営地下鉄烏丸線 今出川駅より徒歩6分
京阪本線 出町柳駅より徒歩15分強
最寄りバス停は「烏丸中学前」「同志社前」徒歩5分強
〒602-0898 京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701 MAP