
昭和時代を代表する作庭家・重森三玲の名作が、"京都友琳会館"から氏の出身地・岡山に移築…尾形光琳/宮崎友禅斎にリスペクトを込めた独創的なモダン庭園。
吉備中央町 賀陽庁舎「友琳の庭」について
「吉備中央町 賀陽庁舎」(きびちゅうおうちょう かようちょうしゃ)は昭和の京都/日本を代表する作庭家・重森三玲の出身地:岡山県吉備中央町(旧・賀陽町)の庁舎/役場。その中庭「友琳の庭」は重森三玲が昭和時代に京都の『京都友琳会館』に作庭し、平成年代(2002年)にこの地に移築されたもので、氏が残した公開庭園の中では比較的規模も大きい上、現代的なデザインの傑作の一つ。
2026年に再訪したので改めて紹介。尚、冒頭の様な俯瞰的な視点は庁舎の開庁時間内のみ見学できます。(※閉庁日=土休日は室内からは見られず、平面の目線からのみ見られます。)
日本庭園の歴史に名を刻む「作庭家」「造園家」の中で、現段階で最も人気のある人物の一人と言っても良いであろう「重森三玲」。京都でも名庭園を残している氏ですが、出身地は岡山県。その中でも氏の出身地である備中エリア(現・吉備中央町)には処女作をはじめとして氏の作品がいくつも存在します。
その中で最も規模も大きく、ほぼ常時公開で気軽に見られるのがこの「友琳の庭」。“永遠のモダン”と称される三玲さんの庭園ですが…その中でも「独創性」が際立つ、氏の傑作の一つ。
実はこの庭園は元々は京都に存在した庭園。1969年(昭和44年)に京都市内に建設された『京都友琳会館』に作庭され、1999年に会館の取り壊しに伴って2002年に氏の故郷のこの地に移築。またその移設の際には岡山の作庭家・岩本俊男さんをはじめ重森さんの下で作庭に取り組んだ弟子/門下生の方々が参加されたそう。
とにかくそのデザインが独特(独特な作品が多い方だけど、その中でも特に!)。冒頭の視点から見て、中央にある渦巻きのような模様を描いた池泉。この模様は「束熨斗(たばねのし)模様」を庭に表現したという姿。水上の渦に目がいくけれど、地面の部分が複数の異なる「色」の素材(石・砂)で配色されたデザイン。その上に水が入る事で更に色が滲み広がるようなギミック。
その周囲の白砂の中には重森三玲さんらしい迫力ある立石の石組や亀島とおぼしき島、そして氏が好んだサツキの大刈り込みに丸い鞍馬石の飛び石に直線的な敷石…と、まさに重森三玲ワールド全開。飛び石を挟んで逆側(北側)の抽象的な枯山水は日本三景『天橋立』を表現。
「友琳の庭」の名前は江戸時代の美術家・尾形光琳、友禅染を完成させた宮崎友禅斎と京都・西陣に大きな影響を残した偉人からそれぞれ一文字ずつ取って名付けられたものとなっています。
ちなみに『京都友琳会館』を手掛けた建築家は、やはり京都に数多くの作品を残した富家宏泰。挙げればキリがないのですが、多くの方に親しまれている施設で言えば『千葉マリンスタジアム』、『藤井大丸』、現『ANAクラウンプラザホテル京都』、『カトリック河原町教会』、庭園関連で言えば『京都平安ホテル』や『北村美術館』などなどその作風は“富家モダニズム”とも称されています(重森三玲とも複数のプロジェクトを手がけたそう)。今の庭園も移築とは思えない馴染み方だけれど、きっと京都での姿も素敵だったのだろうなあ。重森三玲ファンは絶対一度訪れてみて。(また庁舎の隣にある『ロマン高原かよう総合会館』も独特な外観のモダン建築!)
(2018年3月、2026年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
投稿者プロフィール

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