雨森芳洲庵

Amenomori Hoshunan Garden, Nagahama, Shiga

ユネスコ“世界の記憶”にも選ばれた江戸時代の儒学者・雨森芳洲。戦国大名・浅井氏の重臣がルーツの館跡に作庭された枯山水庭園と美しい町並み。

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雨森芳洲庵庭園について

「東アジア交流ハウス 雨森芳洲庵」(ひがしあじあこうりゅうはうすあめのもりほうしゅうあん)は滋賀県長浜市(旧・高月町)にある文化交流施設。江戸時代に朝鮮との友好交流に尽力した儒学者・雨森芳洲を顕彰するため、氏の生家跡に昭和時代に開館、美しい枯山水庭園もあります。

北国街道の宿場町「木之本宿」から南へ3km程、国宝十一面観音をはじめ多くの観音像が伝わる「観音の里」旧・高月町の雨森集落。紹介のメインは雨森芳洲庵ですが、まず驚くのはその街並みの景観。「街並み保存地区」等に選定/指定されている訳ではないものの、水車のまわる清流の流れる美しい景観を残します。また決して広い訳ではないエリアの中に幾つも寺社仏閣が立ち並ぶ所も、歴史ある集落であることを感じさせます。

で、ここで紹介する主役が「雨森芳洲」。雨森氏は古くから近江国・湖北エリアを治めた豪族で、戦国時代には大名・浅井氏の重臣として活躍。浅井家の滅亡後も雨森氏は存続し、江戸時代には庄屋や医業を営みました。

そんな雨森家に生まれた芳洲。木下順庵の下で儒学を学ぶと、順庵の推薦で朝鮮外交を担う対馬藩に仕えることに。対馬で朝鮮語を学ぶと、「朝鮮通信使」との通訳や応接など実務に携わり、鎖国中だった日本の国際交流に尽力。当時、芳洲が残した文書・史料は「雨森芳洲関係資料」として国指定重要文化財で、更に2017年にユネスコの「世界の記憶」に登録された『朝鮮通信使に関する記録(17から19世紀の日韓間の平和構築と文化交流の歴史)』にも含まれます。

この雨森芳洲庵は元々雨森家のお屋敷のあった場所、彼の生家跡に1984年(昭和59年)に建設されたもの。亡くなるまで対馬藩で過ごしているので「芳洲の旧宅」と言うと語弊があるのですが、「中世から続く雨森家の館跡」に建つので、史跡としても貴重な場所。門の横のケヤキの巨木がその歴史を伝えます。

建設年代は昭和時代後半ですが、そのデザインは芳洲が生きた時代の伝統的な(寺院を思わせる)和風建築。館内では雨森芳洲や朝鮮通信使に関する各種展示が見られるほか、施設名に“東アジア交流ハウス”と付く通り、地域の交流、国際交流のための広間なども備えます。

そしてL字型の和風建築の前には枯山水庭園が広がります。手前に一面の白砂、奥にモミジが多く植栽された「京都」を感じさせる枯山水庭園(その奥には枯流、枯池)。こちらも建築と同じく昭和時代に作庭されたものですが、庭園奥の緩やかな築山は雨森氏の館の土塁をそのまま生かしたものなのだとか。庭園の一角にはこの施設の開館に尽力された京都大学名誉教授・上田正昭さんの「芳洲魂」の石碑が。作庭された庭師さんも京都の方かも…?

庭園の一角には雨森芳洲を祀る『芳洲神社』も。また同じ近隣には滋賀県指定文化財の庭園『理覚院庭園』(※事前予約)もありますので、合わせて立ち寄ってみて。

(2026年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR北陸本線 高月駅より2.4km(徒歩約30分、駅前にレンタサイクルあり)
JR北陸本線 木之本駅より3.5km(駅にレンタサイクルあり)
木ノ本駅より路線バス「洞戸」バス停より徒歩15分(約1km)

〒529-0222 滋賀県長浜市高月町雨森1166 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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