まだある新潟の豪農屋敷…明治天皇が御小休された国登録有形文化財の近代和風建築。上越名家一斉公開で春・秋に特別公開。(通常非公開)
白田邸庭園について
【通常非公開/主に春・秋に特別公開あり】
「白田邸」(しらたてい)は新潟県上越市に残る大庄屋/庄屋クラスの豪農屋敷による『上越名家ネットワーク』の名家/旧家の一つ。明治天皇の北陸行幸の際に御小休座敷となった近代和風建築が「白田家住宅主屋」として国登録有形文化財となっています。
これまでも新潟県内の豪農の館と庭園を色々紹介してきましたが、上越市にも歴史のある複数の館が(主に個人所有のまま)現存します。
しかしながら認知度・知名度も低く、“地域の文化財・文化資源”としての価値が認識・共有されず、財源難で必要な修繕も進まない現状がありました。
その状況を打開する第一歩として2017年から始まったのが『上越名家一斉公開』。江戸時代から続く名家4家(当初は5家)が足並みを合わせ一斉公開され、まずは地域の方々に通常非公開の旧家を体感し、その重要性・貴重さを知っていただく…というイベント。
なお仕掛け人は『にいがた庭園街道』を徐々に全国区にされつつある?「庭屋一如研究会」の藤井代表。いつもお世話になってます。
2020年にはこれらの建築や庭園を後世に継承する為の組織『上越名家ネットワーク』が設立され、公開イベントのみならず地域の学校との連携や「サポーターズクラブ」など活動の幅を広げられております。
で、2017年以降は春(5月)と秋(11月)に一斉公開イベントが行われてきた上越名家。2022年は7月にも1日限りの特別公開を実施!そこで初めて訪れました。一箇所ずつ紹介していきます。
上越市の中心部から北東部、2005年の市町村合併前の「頸城村」の玄関口のほくほく線・くびき駅の真南に位置する森本集落にある白田邸。江戸時代初期の検地帳にも名が残る旧家で、頸城村になる前の“明治村”時代には三代に渡り村長を務める家柄でした。
国登録有形文化財となっている現在の主屋は1918年(大正7年)より建築が始まり、その後も増築を重ねて現在の姿になったのは1933年(昭和8年)。
元々は現在の糸魚川市、筒石村(磯部村)藤崎にあった斉藤家を移築したもの。斉藤家は江戸時代には加賀藩主・前田家が参勤交代の際に宿泊する本陣だった家柄で、明治維新後の1878年(明治11年)には明治天皇が北陸巡幸の際の御小休所にもなりました。
まずそんな明治天皇御小休座敷“玉座の間”の意匠がすごい!全てデザインの異なる欄間・書院窓の透かし彫や障子、そして襖絵。
玉座の間から庭園側にある座敷が“北土院”。普通の縁側と庭の関係とはちょっと違って、座敷の庭の間に広めの軒下・洗い出しの土間があるのが特徴的なところ。パッと思い出した所では加賀藩の豪商の邸宅『喜多家記念館』…この作りはやはり加賀藩との繋がりから来るものだったのかな。
5間(約9m)と開放的な入側から眺められる庭園は庭石よりも樹木を中心とした自然風の庭園。現在は成長した木が主役ですが、かつてはその正面に周囲の山々の借景がのぞめたのでは…?とも。
また入側にある大きなつくばいは東京都北豊島区の庭師・伊藤寅之助直作。北豊島区…?“染井の庭彦”伊藤彦右衛門と関係ある方なのだろうか…。
そしてもう一つカッコいい意匠があるのが茶室風の“離れ”。北土院側の円窓もいいけど、ここで初めて見た!と言えるのが庭側を向いたガラス戸。
ガラス戸・組子襖戸・組子障子戸とそれぞれデザインされた3つの戸が引き出せるようになっていて、その組み合わせによって異なるデザイン越しに庭園を眺めることができる。北国の寒さ対策も兼ねた?中でのオシャレなデザイン!
また邸宅だけでなく、宅地を囲む土塁や石橋〜石積のあるアプローチも豪農としての格式を感じさせるものになっています。
各地に「集客と広報・PR」に苦しんでいる旧家・文化財・庭園施設があると思う。
個々のリソースで頑張れることって限界があるし、かといって「自治体の観光サイト」の中ではどうしても埋もれてしまうので(*京都…は特別として島根県のように庭園推しの自治体もあるけど)、上越名家のように“近い存在でチームを作って面で伝えていく”のはとても良いケースだと思うのです。2022年秋の公開は11/12(土)・13(日)!
(2022年7月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
北越急行ほくほく線 大池いこいの森駅より上越市コミュニティバス「森本西」バス停下車 徒歩2分(*平日の朝夕のみ)
北越急行ほくほく線 くびき駅より約3km(徒歩40分)
JR信越本線 直江津駅より約10km(*駅付近にレンタサイクルあり)
〒942-0223 新潟県上越市頸城区森本703 MAP