保性館幽泉亭庭園

Hoseikan Yusentei Garden, Matsue, Shimane

俳優・長谷川博己さんゆかり。玉造温泉の老舗宿に残る、昭和天皇も宿泊された文化財の近代和風建築と庭園。“松雲”川島徳次郎設計。

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保性館 幽泉亭について

【宿泊者向け】
「保性館」(ほせいかん)は平安時代、清少納言が『枕草子』で“三名泉”と記した玉造温泉で創業120年を越える老舗宿。昭和初期に皇室専用の宿泊棟として建てられ、昭和天皇も宿泊された「幽泉亭」(ゆうせんてい)が国登録有形文化財。それを取り囲む形で日本庭園があります。

奈良時代に出雲国に開湯・日本最古の温泉の一つに挙げられ、近年では美肌の湯として人気の玉造温泉。2020年秋に初めて訪れました。玉造温泉のホテル・旅館には日本庭園を供える施設が複数ありますが、その中で唯一の文化財宿が保性館。その歴史はお向かいの『湯之助の宿 長楽園』と同じく、江戸時代に「湯之助」(湯之介)の役職を代々務めた長谷川家にさかのぼります。
(“湯之助”とは、江戸時代に松江藩主・堀尾忠晴の時代から玉造温泉に置かれた温泉の責任者。)

長谷川家は1702年(元禄14年)に松平家より差配を許され、『隠居屋』の屋号で営業を開始。その後1897年(明治30年)に長谷川百三郎の代に“保性館”の名に改められました。命名は宿泊され温泉に癒された京都・大徳寺の東海老師
現在はHMIホテルグループの施設となっていますが、長谷川家からは建築史家・長谷川堯、そしてその息子として大河ドラマで明智光秀役をつとめた俳優・長谷川博己さんが居られます。(そうだったのか…!)

現在玉造川から見えるのは平成元年に建てられた新館『佳松閣』、1973年(昭和48年)築の『竹寿閣』という比較的新しい建物ですが、中庭に1931年(昭和6年)築の数寄屋風造りの近代和風建築と日本庭園が残されています。
庭園を含め設計・施工を手掛けたのは、近代の出雲地方を代表する大工棟梁“木匠家”“松雲”川島徳次郎。同じく天皇行在所となった国指定重要文化財『木幡家住宅』もこの方によるもの(こちらもむっちゃ良かった。後日紹介)。

昭和天皇のみならず、閑院宮家、高松宮家、久邇宮家、賀陽宮家、『東京都庭園美術館』朝香宮鳩彦王、そして内閣総理大臣もつとめた東久邇稔彦王も宿泊した皇室御用達の「幽泉亭」、現在は宿泊者ならば割と朝早くから夜遅くまで自由に見学することが可能!

まず庭園について。おそらく新館を建てた時に縮小されていると思いますが、ものすごく大きな自然石を埋め込んだ踏分石に舟形手水鉢、石灯籠などが配されている池泉回遊式庭園。…なんですが残念ながら今回は“修繕作業中の為進入できません”とあり、手前から眺めるのみ。
唐破風の玄関前の園路は高い飛び石と白砂という“出雲流庭園”らしさもあり、玄関の先には茶室の姿も。石碑には“玉夢幽泉”と刻まれている。

幽泉亭の座敷“梅本間”からは三方にこの日本庭園が眺められるようになっています。襖絵や松本間・松次間の欄間の彫刻、付け書院などに粋な意匠が見られる一方で、大正ガラスや縁側のクラブチェア・照明などインテリアには洋風なものが取り入れられている、贅を尽くした近代和風建築!長谷川博己さんにとっては“おじいちゃんの家”みたいな感じだったのかもしれないなあ…。

幽泉亭に関する詳しい説明は千葉工業大学創造工学部建築学科 准教授・藤木竜也さんによる解説が公式サイトに掲載されています。(⇒PDFはこちら
現地にもパネルがあって、ここまで詳しく解説展示されてる登録有形文化財ってそんなに無いなと思う。“売りにしよう”という気持ちはとても重要ですし、公開していただいてることにもリスペクトの念を。

こういう温泉宿は、大浴場や露天風呂の石組も最近はついつい見てしまう(笑)次の島根旅行でも奮発して玉造温泉に泊まりたい!

(2020年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR山陰本線 玉造温泉駅より約2km(徒歩25分)
玉造温泉駅・松江駅より路線バス「温泉上」バス停下車 徒歩1分

〒699-0201 島根県松江市玉湯町玉造1191-1 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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