宝厳院庭園“獅子吼の庭”

Hogoin Temple Garden, Kyoto

嵐山の借景が美しい紅葉の名所。室町時代の禅僧・策彦周良+天龍寺御用達庭師+近江国の作庭家“鈍穴流”花文と各時代のクリエイターの想いこもる庭園。

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宝厳院庭園“獅子吼の庭”について

【春と秋に期間限定公開】
「宝厳院」(ほうごんいん)は世界遺産の京都を代表する寺院『天龍寺』のすぐ傍にある塔頭寺院。室町時代の禅僧・策彦周良禅師により作庭されたと伝わり、天龍寺御用達庭師が現代に復元した庭園“獅子吼の庭”が例年春・秋に期間限定で特別公開されます。青もみじ/紅葉の名所としても知られ、秋には紅葉ライトアップも!

天龍寺本山のすぐ南側に隣接する宝厳院さん、その歴史について。室町時代の1461年(寛正2年)、室町幕府の管領・細川頼之夢窓国師から数えて三代法孫に当たる聖仲永光禅師を天龍寺から迎えて創建。当初は天龍寺の傍にあった訳ではなく、上京区の現在『本法寺』や裏千家・表千家のあるあたりに広大な寺領を有していたそう。

しかし創建直後に応仁の乱が勃発して焼失、そこからしばらく経った桃山時代に豊臣秀吉により再興。
またしばらく経ち、近代~昭和年代に同じ天龍寺の塔頭『弘源寺』内に移転、現代に入って2002年(平成14年)に現在地(江戸時代までは天龍寺塔頭『妙智院』のあった地)に移転を果たしました。

なので、パンフレット等の公式な庭園の説明としては“室町時代に策彦周良が作庭した”とありますが、現在の庭園の原型は妙智院だった時代、また近代にこの地に造営された「実業家/資産家」の別荘の時代に形作られたもの。
江戸時代に形作られた『旧妙智院庭園』は当時発刊された《都林泉名勝図会》にも掲載された名所でした。しかし明治維新の後、廃仏毀釈の起こった時代に荒廃。

その後この地を手に収めたのは、近江商人・外村宇兵衛(参考:『秘伝・鈍穴流「花文」の庭』)。近江五個荘を拠点に京都や全国で商売を営んだ外村家は現在も京都に「外与」「外市」さんなど「外」の名を継ぐ企業を残します。近代の当代・外村宇兵衛は嵐山のこの地に構えた『旧外村宇兵衛嵯峨別荘』のほか、南禅寺界隈別荘として現『南禅寺参道 菊水』を造営しました。
現在の庭園へ引き継がれている数多くのモミジや一部の庭石(愛知川青石)はその当時、外村家と同じ近江五個荘が拠点の作庭家「鈍穴流」花文によって作庭されたもの。

その後、大正時代にこの地を手に入れたのは資産家(日本郵船重役)林民雄。現在の本堂と繋がっている書院(寺院建築と言うよりは別荘建築風の近代和風建築)や茅葺屋根の茶室『無畏庵』や茶室『青嶂軒』はその時代に整えられたもの。入園する際にくぐる茅葺の長屋門(山門)も含め、寺院らしさというよりは近代のお金持ちが好んだ「農家/田舎家/山荘風」の建築が移築され?点在しているのがこの庭園の特徴/価値の一つでもあります。

そのような変遷を経た庭園に、天龍寺の御用達庭師・曽根造園さんにより再現された策彦周良禅師の庭園が加わった“獅子吼の庭”。順路の序盤に登場する枯山水庭園は嵐山の借景と、大きめの玉石によって表現された“苦海”がその特徴の一つ。
園路を進むと苔むした中にさまざまな植物・花を見ることができ、また庭園の名の由来となっている巨石“獅子岩”“碧岩”が鎮座しています。それ以外の庭石も苔が付着している雰囲気が良い感じ。

また『無畏庵』ではお茶をいただきながらほっと一息つくこともできます。時代ごとのクリエイターによってはぐくまれた庭園、ぜひ堪能して。

(2019年12月、2020年6月、2023年5月・6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR山陰本線 嵯峨嵐山駅より徒歩15分
嵐電本線 嵐山駅より徒歩5分強
阪急嵐山線 嵐山駅より徒歩10分強

〒616-8385 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町36 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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