飛騨高山に残る茶人・金森宗和好みの庭。宗和の兄・金森重勝の屋敷跡に残る庭園は高山市指定文化財。
川上別邸史跡公園について
「川上別邸史跡公園」(かわかみべっていしせきこうえん)は国の重要伝統的建造物群保存地区・飛騨高山の町並みのはずれにある公園。「町年寄川上家別邸跡」として庭園・土蔵・稲荷社が高山市指定文化財(史跡・名勝)。
2021年6月に約7年ぶりに飛騨高山へ。町並みの知名度と比べると有名な“庭園”は無い飛騨高山ですが、市指定史跡・市指定名勝の庭園が3つあります。こちらはその一つ。
現在は市民向けの公園として開かれているこの場所にはかつて飛騨高山藩二代目藩主をつとめた大名・金森可重の子・金森重勝(金森左京)の屋敷がありました。当時は現在の公園の数倍の敷地だったとされます。
高山が天領になった後は、町年寄の川上斉右衛門の別邸~隠居の際の屋敷に。庭園内に建つ稲荷社は江戸時代後期の1842年(天保13年)の建立で、願主として町年寄川上斉右衛門棋堂と記されているそう。
そして小さなお社ながら手掛けたのは高山で代々大工業を営み“屋台彫刻の名手”とも呼ばれた谷口与鹿・延恭。また土蔵も同じく江戸時代後期の建立で、こちらも高山で左官の名手として知られた江戸家万蔵の作と伝わります。
近現代には別の所有者の貸家・駐車場として用いられましたが、1998年(平成10年)に文化財としての保存、活用のために高山市に寄贈され公園として整備されました。またその際、儒学者・赤田臥牛の書き残した庭園の様子を元に植栽の修復も。
園内に残る池泉回遊式庭園(現在は枯池式)の作庭年代は不明ですが、その特徴から金森重勝の屋敷があった時代に作庭されたものが一部が残ると推定されています。ちなみに金森重勝の母親は国指定名勝『江馬氏館跡庭園』の中で登場する武将・江馬輝盛の娘。往時の両庭園を知る人物ということに。
文化財指定の論評には《京都に多く残る宗和好みの庭との共通した景観――》とある。金森可重の長男&重勝の兄、武将ではなく茶人/作庭家として京都でも名を馳せた茶道宗和流の祖・金森宗和(金森重近)。
言うほど京都に多く残っていないような気もするのであまり“ここにらしさが現れている”とは言えないんだけど(築山が緩やかな雰囲気の近い池泉庭園としては『大原三千院』ぐらいか)、一方で後に宗和が仕えた加賀藩内に残る、加賀藩家老・本多家の庭園『松風閣庭園』(金森宗和の息子の作庭)が平庭の池泉回遊式庭園として似ているかもしれない。
金森可重からは勘当され、一国の大名ではなく茶人の道を選んだ金森宗和。飛騨高山藩にとってはアウトサイダー的存在になるわけだけど、“宗和好みの庭”と言い伝えられる庭園が飛騨高山には他にも残り親しまれている。“金森宗和好みの庭園”、盛り上がるといいなあ。
(2021年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)