岩見沢開拓から僅か30年後の大正時代に材木商・竹原繁次郎が造営し、5期市長を務めた国兼家のお屋敷となった近代和風建築と庭園。岩見沢市指定文化財。
旧國兼家住宅について
「旧國兼家住宅」(きゅうくにがねけじゅうたく)は北海道岩見沢市にある大正時代に建築された近代和風住宅。岩見沢市指定文化財。和洋折衷な邸宅の前には日本庭園が広がります。
JR岩見沢駅の北口から徒歩10分ほど。幾春別川沿いにある『いわみざわ発祥の地記念公園』に隣接して残るのがこの旧国兼家住宅。内部は通常非公開ですが、外観と庭園は自由に見学できます。(また邸宅はロケ地として利用可)
その歴史について。1913年(大正2年)or1917年(大正6年)に当初は材木商・竹原繁次郎の自邸として建築され(なので『旧竹原繁次郎家住宅』という表記も)、後に国兼家の所有に。この国兼家からは昭和時代中期~後期にかけ5期岩見沢市長をつとめた国兼孝治氏を輩出。現在は岩見沢市に寄贈され、その旧宅地の一部に『いわみざわ発祥の地記念公園』が開園しました。
むくりのある入母屋造りの玄関や、広縁~土間(土縁)の外側まで雨戸をめぐらせた建築様式が《(東北~北陸~出雲地域までの)日本海側の多雪寒冷地帯に見られた伝統的な住宅》の特徴を持ち、杉やヒノキなどその材木も秋田から運ばれてきたものとされ、山形・鶴岡の出身だった竹原繁次郎が地元の趣向を取り入れた邸宅となっています。
確かに玄関など含め、鶴岡の国登録有形文化財『風間家住宅』の様な雰囲気。一方で庭園側から見ると基礎が煉瓦積み+直線的なガラス戸と洋風なデザイン性も。
その主座敷から眺められるのが中央に枯池を配した回遊式庭園。こちらは建築のような“どこどこらしさ”は無いものの、主木の大きなポプラの木が北海道らしさを感じさせつつ、四季の花木やモミジの植わった庭園となっています。
岩見沢への士族の入植/開拓がはじまったのは1884年(明治17年)なので、そこから30年でこの規模の個人邸・庭園が造営されていたことに感嘆…!
邸宅・庭園に隣接する『いわみざわ発祥の地記念公園』は岩見沢が開拓されて100周年/市政40周年を記念して1984年(昭和59年)に造園された公園。岩見沢には各地から士族が入植しましたが、その中でも特に開拓に貢献したと言われるのが山口県柳井市・平郡島から入植した士族を顕彰する石碑が立ちます。文化財の建物と合わせてチェックしてみて。
(2024年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)