近代にアジアへと展開した『三中井百貨店』。その創業家“百貨店王”中江家の近代和風邸宅と“鈍穴流”花文の三代目作庭の回遊式日本庭園。
五個荘近江商人屋敷 中江準五郎邸庭園について
「中江準五郎邸」(なかえじゅんごろうてい)は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている古い町並み『五個荘金堂』で公開されている近江商人屋敷の一つ。その他の公開屋敷『外村繁邸』、『外村宇兵衛邸』と同じく、近江で江戸時代からの歴史を持つ作庭流派“鈍穴流”の継承者「花文」の三代目により作庭された日本庭園が残ります。
江戸時代以降に興隆した「近江商人発祥の地」として大きな商人屋敷が立ち並ぶ一方で、国指定重要文化財の本堂を持つ「弘誓寺」や聖徳太子が創建したと伝わる「浄栄寺」が集落の中心に位置し、寺社や水路、周辺の水田を含めた景観が歴史的なものとされている『五個荘金堂』の町並み。
前述の外村邸やこの中江準五郎邸の辺りが五個荘金堂の中心地で、近江鉄道・五個荘駅から向かうと最も近くにある『藤井彦四郎邸』からは徒歩15分程掛かります。
近江国に本邸を残しながら、日本全国各地〜そして海外へと商流を広げた近江商人。この邸宅の施主・中江準五郎は戦前に朝鮮半島/満州/中国大陸に約20店舗存在していた『三中井百貨店』の創業者・中江家の4兄弟の末っ子。
元々は五個荘で呉服商を営んでいた中江家。明治時代、日本国内で出店を広げるのではなく朝鮮半島へ渡ると、その先で事業を拡大。最盛期には日本国内の三菱以上の売上を大陸で上げていた…という話がその勢いを物語り、『百貨店王』と呼ばれるまでになりました。
しかし――太平洋戦争の終戦によって海外での資産をまるっと失い、三中井百貨店は消失。中江家は五個荘に戻り、現在“三中井”ブランドは彦根城からすぐ近くの夢京橋キャッスルロードの老舗洋菓子店『三中井』にのみ残ります。
この邸宅は昭和時代初期、1933年(昭和8年)に建築された近代和風邸宅。その邸宅を囲むように作庭された池泉回遊式庭園は、近江発の作庭流派“鈍穴流”の継承者、「花文」の三代目による作庭。
『鈍穴流』とは。幕末〜明治時代に掛けて近江地方で数多くの庭園を手掛けた勝元宗益(鈍穴)を祖とする作庭流派。勝元鈍穴は茶道「遠州流」の中興の立役者であり徳川将軍家の茶道師範も努めた茶人・辻宗範の弟子で、宗範からは遠州流茶道以外にも築庭を学び、その後各地で作庭を手掛けるように。晩年にはこの五個荘金堂に拠点を置き、当地の植木商『花文』の初代、2代目とともに様々な庭園を手掛けました。その作庭手法は『花文』へと引き継がれ現代へ至ります。
同じ公開屋敷・外村繁邸と比べると茶庭的な要素よりも豪商にふさわしい最も大きな池泉式庭園。一方で建物沿いの大きな(インパクトのある)飛び石は鈍穴流庭園の代名詞!五箇荘からも近い豊郷町の『伊藤忠兵衛記念館』の庭園などでもこの特徴を感じ取ることができます。
邸宅内では江戸中〜後期に活躍した土佐派の絵師・藤原光貞が描いた金屏風や、それを前にしたお雛様の展示、そして郷土玩具・小幡人形の展示なども。そして2階からの庭園の眺めも◎。しかし分家でこれだけの庭園があるのだから果たして本家の庭園はどんな庭園だったんだろうなあ…。
なお、より詳しい庭園解説は2019年に誠文堂新光社から出版された『秘伝・鈍穴流「花文」の庭』の「試し読み」に載っているので、そちらをチェック!
(2019年3月、2023年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)