
『三中井百貨店』創業家・中江家の昭和初期に建てられた邸宅と『鈍穴流』花文の三代目作庭の池泉回遊式庭園。
五個荘近江商人屋敷 中江準五郎邸庭園について
「中江準五郎邸」(なかえじゅんごろうてい)は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている『五個荘金堂』の町並みにある公開近江商人屋敷の一つ。その他の近江商人屋敷『外村繁邸』、『外村宇兵衛邸』と同じく、『鈍穴流』の継承者「花文」の三代目によって作庭された庭園が残ります。
2019年春に重伝建地区『五個荘金堂』をはじめて巡りました。個人的には75箇所目ぐらいの重伝建。江戸時代以降に興隆した「近江商人発祥の地」として大きな商人屋敷が立ち並ぶ一方で、国指定重要文化財の本堂を持つ「弘誓寺」や聖徳太子が創建したと伝わる「浄栄寺」が集落の中心に位置し、寺社や水路、周辺の水田を含めた景観が歴史的なものとされています。
外村邸や「中江準五郎邸」の辺りが五個荘金堂の中心地で、五個荘駅から向かうと最も近くにある『藤井彦四郎邸』からは徒歩15分程掛かります。
中江準五郎邸は戦前に朝鮮半島、満州、中国大陸に約20店舗存在していた『三中井百貨店』の創業経営者・中江家の4兄弟の末っ子の邸宅。
元々は五個荘で呉服商を営んでいた中江家。明治時代、日本国内で出店を広げるのではなく朝鮮半島へ渡ると、その先で事業を拡大。最盛期には日本国内の三菱以上の売上を大陸で上げていた…という話がその勢いを物語り、『百貨店王』と呼ばれるまでになりました。しかし――太平洋戦争の終戦によって海外での資産をまるっと失い、三中井百貨店は消失。中江家は五個荘に戻り、現在“三中井”ブランドは彦根城からすぐ近くの夢京橋キャッスルロードの老舗洋菓子店『三中井』にのみ残ります。
この邸宅は昭和初期に建てられた和風家屋で、邸宅を囲むように作庭された池泉回遊式庭園は近江国で活躍した作庭家・勝元宗益の興した『鈍穴流』の継承者、「花文」の三代目による作庭。『鈍穴流』の説明は『外村繁邸』の方に書いたので省略――これまで紹介した3箇所の中では、「茶庭」のような印象が薄れた――豪商にふさわしい最も大きな池泉式庭園(でもインパクト強めの飛び石は他の2箇所と共通)。
より詳しい庭園解説はこの春に誠文堂新光社から出版された『秘伝・鈍穴流「花文」の庭』の「試し読み」に載っているので、そちらをチェック。
邸宅内では江戸中〜後期に活躍した土佐派の絵師・藤原光貞が描いた金屏風や、それを前にしたお雛様の展示、そして郷土玩具・小幡人形の展示なども。そして2階からの庭園の眺めも◎。しかし分家でこれだけの庭園があるのだから果たして本家の庭園はどんな庭園だったんだろうなあ…。
(2019年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)