京都の有名作庭家・北山安夫の枯山水庭園から赤城山を借景とした桜の名所庭園、非公開の江戸時代の古庭園まで…境内全体が庭園な禅寺。
福増寺庭園について
「蓬莱境 長寿山 福増寺」(ふくぞうじ)は群馬県渋川市のJR敷島駅から程近くにある曹洞宗の禅寺。江戸時代以前に作庭された文化財級の庭園“雲水庭”(さざれ石のお庭)をはじめ、現代京都の有名作庭家・北山安夫さん作庭の“非思量庭”(えもいわれぬ□□□のお庭)、本堂・庫裡前の庭園“円月相庭”(まんまる月のお庭)など境内には6つの庭園があります。
*“雲水庭”は通常非公開ですが、“円月相庭”などは開門時間は自由に拝観することができます。
2021年10月に約2年ぶり、コロナ禍以降で初めての北関東を訪れた際にちょうど開催された秋の庭園特別拝観と夜のお茶席『草庵の侘び茶席』にお招きいただき、初めて拝観。ライトアップされた庭園の姿も交えながら紹介!
“東国花の寺百ヶ寺”の群馬12番であり、地元・渋川でも桜の名所としても知られる福増寺。現代は駐車場からすぐ山門にたどり着いてしまうけれど、その前に長く伸びるかつて寄進された石段〜亀甲をデザインした石畳は古くからの面影を感じさせます。現在の伽藍は江戸時代に整えられたものが中心。
■非思量庭/えもいわれぬ□□□のお庭(5〜10枚目)
“桔梗石蕗の庭”の奥にある本堂西庭(方丈西庭)が人呼んで“平成の小堀遠州”、現代の京都の代表的作庭家のひとり・北山安夫さんにより作庭された枯山水庭園。
手前には大海をあらわす白砂、中景に竹林や桜の木が植わった苔の築山、そしてその中に80個以上の庭石を配して三尊石組や龍門瀑など蓬莱の世界を表現。子持山の借景が庭園をより大きなスケールで見せてくれます。
厳かさではなく“四季を通じて和んだり、英気を養ってほしい”という想いが込められ、“えもいわれぬ□□□のお庭”と名前もユニーク。クチロロ…ではなく□□□の中に鑑賞者の感じる言葉をつけてほしい…ということが意図されている新しい禅の庭。ちなみに代表作の“潮音庭”のある京都『建仁寺』にも“〇△□乃庭”という名前の庭園がありますね…。
■円月相庭/まんまる月のお庭(11〜16枚目)
春には庭園背後の主木のソメイヨシノ“山門の桜”がライトアップされ地元の方で賑わう庭園で、桜は明治時代に植樹され樹齢100年を越えるものも。
一方でこの池泉回遊式庭園はその名の通り“観月のための庭園”で、今回参加したお茶席でもこの庭園を正面に見ながら借景の赤城山から昇る月を鑑賞することができた…!(スマホの限界で全然赤城山が写ってないけど…)
また庭園の脇に建つ鐘楼は津久田八景の一つ“福増寺の晩鐘”(戦艦陸奥の鐘)とも呼ばれます。
■陸奥の庭園“周防の海”(17〜18枚目)
まんまる月のお庭の脇にある小さな石庭は“陸奥の庭園”。戦時中の1943年(昭和18年)に瀬戸内海の柱島水道で沈没した戦艦陸奥を偲んで作庭された庭園で、配されている庭石は山口県周防大島町から運ばれたもの。
“周防の海”に浮かぶ陸奥/大和/扶桑/長門といった戦艦(船石)や、周防大島/柱島/続島といった島々が表現されています。
■雲水庭/さざれ石のお庭&中庭(1・19〜21枚目)
大小さまざまな庭園がある福増寺の中で最も古く、現代ではなく江戸時代以前に作庭されている“主庭園”は書院東庭のこの庭園。
白砂の中心に配された亀島には“君が代”でも歌われる“さざれ石”が使われていることで“国歌巌庭”の別名も。山の斜面を活かした多種多様な石組一上下二段の池泉構造、洞窟石組、龍門瀑、鯉魚石、舟石などの見せ方。
ご住職なりにさまざまな庭園を見た中で、山梨県に鎌倉時代〜室町時代を代表する禅僧・蘭渓道隆や夢窓疎石が残した『東光寺庭園』や『浄居寺庭園』と類似性を感じたらしいけど、個人的にも連想したのは浄居寺だった。
そこまで古くはないのだろうけど、江戸時代の作庭だとしても群馬県内では貴重な古庭園。あと庫裡と書院の間にある中庭も良い感じ。
最後に。福増寺がとても素敵なのはご住職が境内全体を一つの“庭園”と見立てて、境内の各所にストーリー性を持たせていること。今後も新たな“庭”が加わったり、境内全体(庭園全体)がブラッシュアップされてゆくのかも。関東の方はぜひイベントにも訪れてみて!
(2021年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)