龍海院庭園

Ryukaiin Temple Garden, Maebashi, Gunma

江戸時代に大老/老中も輩出した大名・雅楽頭酒井家の菩提寺に作庭された現代の石庭。前橋藩主酒井氏歴代墓地が前橋市指定史跡。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

龍海院庭園について

「大珠山 是字寺 龍海院」(りゅうかいいん)は江戸時代に川越藩/前橋藩/姫路藩の藩主を務めた大名・雅楽頭酒井家の菩提寺。境内にある「前橋藩主酒井氏歴代墓地」及び初代前橋市長・下村善太郎の墓所は前橋市指定史跡。そして現代に作庭された石庭があります。
2021年10月、『臨江閣』を久々に訪れた足で初めて拝観(下村善太郎の名は臨江閣でも出てきました)。

徳川四天王”で有名な酒井忠次…とは同族だけどちょっと系列は異なる“雅楽頭酒井家”。でもこちらの酒井家も三河の時代から松平家/徳川家に仕え、関ヶ原の戦い後は大名に。川越藩主⇒前橋藩主となった酒井忠世、酒井忠清、そして小浜藩主の酒井忠勝、姫路藩主の酒井忠績は江戸幕府で大老も務めました。

この龍海院も元は三河・岡崎城下に徳川家康の祖父・松平清康によって1530年(享禄3年)に創建。“是字寺”という寺名は清康が“是”の字を握る夢を見て、それは吉兆だよと開山の模外和尚に言われたことが由来。松平家には別の菩提寺があったので、家老の酒井正親に外護を命じた所からやがて酒井氏の菩提寺になりました。

…って、岡崎の『龍海院』も行ったわ。あの龍海院と同系列なのか(山号は異なる)。岡崎の龍海院は庭園目当てではなく建築家・山口文象が伽藍を設計していたことで興味を持って足を運んだんでした。

その後、雅楽頭酒井家が川越藩主~前橋藩主と移るのに伴い龍海院も前橋へ移転。1695年(元禄8年)に現在地に落ち着き、五代目藩主・酒井忠挙の寄進で伽藍も整備。
その後江戸時代の中期に酒井家は前橋→姫路へと国替えされますが、その時にはついていかずに前橋に留まりました。なお、市指定史跡の酒井家墓所には姫路藩主を務めた後の酒井家や、支藩・伊勢崎藩の酒井家の墓所も。

伽藍は所々新しくなっているけれど、立派な山門は江戸時代後期~天保年間の面影を残すそう。その山門の両側の筋塀は有栖川宮家から明治時代に寄進されたもので、この龍海院は有栖川宮家の祈願寺でもありました。
京都に居たはずの有栖川宮家が前橋に祈願寺があるって不思議だな…?と思ったのだけど、大老・酒井忠清が危篤の四代目将軍・徳川家綱の後継に有栖川宮幸仁親王を迎えようとした――という歴史からその縁深さが読み取れる。

庫裏の前庭として、全国各地の銘石が配された石庭があります。白砂の中に配された青石、赤石…なんか事前にGoogleマップの航空写真で見ていたのよりカラフルだな…?お聞きしたところ、(昨秋の時点で)ここつい最近寄贈されたばかりだったそうで。地元・北関東の三波石や四国の青石は目にする機会があると言えばあるけど、神居古潭石、幸太郎石、北見赤石、夕張赤石と北海道から運ばれた庭石が特徴的!

墓所のほう~本堂の裏にも現代に作庭された枯流の庭園の姿が見られます。その他、御本尊の釈迦三尊像は鎌倉時代に運慶の作だとか(現在調査中とのこと)。酒井氏ファンも庭園ファンもぜひ訪れてみて。

(2021年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR両毛線 前橋駅より徒歩10分強(*駅周辺にシェアサイクルあり)
JR両毛線・上越線 新前橋駅より約2km(*駅前にシェアサイクルあり)

〒371-0025 群馬県前橋市紅雲町2丁目8-15 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
PICK UP / COLUMN
最新の庭園情報は約10万人がフォローする
【おにわさん】のSNSから。