初代総理大臣・伊藤博文が金沢八景の景勝地に残した明治時代の近代別荘建築と、東京湾を臨む庭園。横浜市指定文化財。
旧伊藤博文金沢別邸について
「旧伊藤博文金沢別邸」(きゅういろうひろぶみかなざわべってい)は初代内閣総理大臣・伊藤博文が明治時代に造営した別邸。横浜の都市公園『野島公園』の施設として一般公開されています。横浜市指定有形文化財。
2021年秋の関東アウェーで訪れた庭園、神奈川でのメインはこれまで紹介した『箱根美術館』、『箱根恩賜公園(旧箱根離宮)』など箱根の庭園でしたが、それ以外にも数箇所。金沢区は過去に『称名寺庭園』に訪れたことがあったけど、今回は旧伊藤博文金沢別邸に初めて訪れました。
日本で最初の首相・伊藤博文が第3次伊藤内閣を発足させた1898年(明治31年)に造営した別邸。この東京湾に面した“野島”という場所は江戸時代には歌川広重の描いた“金沢八景”の中でも“野島夕照”(のじまのせきしょう)として描かれた景勝地で、「野島公園」内の展望台からは富士山や房総半島の眺望も。
葉山や鎌倉、大磯や小田原といった湘南~相模湾を臨む地が政財界要人の別荘地となる前は、この横浜・金沢の地が東京近郊での人気別荘地だったそう。
伊藤博文以外にも同じく元内閣総理大臣の松方正義や伊藤とも関係の深い井上馨も別荘を構え、現存するものでは画家・川合玉堂の『旧川合玉堂別邸庭園(二松庵)』が月に1回程度特別公開されています(現存は庭園のみ)。
大正天皇が皇太子時代を含め二度訪れたこの別邸、伊藤の死後はその息子・伊藤博邦、伊藤文吉の所有に。そして文吉が重役を務めた日産の保養所を経て、戦後に横浜市の所有に。そこから40年以上経った2007年(平成19年)から老朽化した建築の解体~復元・修復がはじまり、2009年より庭園とともに公開が開始されました。
目の前に海を臨むロケーションに建てられた茅葺屋根の平屋建ての和風建築。庭園と海が眺められる客間棟および居間棟が明治時代に建てられたもので、玄関のある台所棟・湯殿は復元の際の新築。邸内では伊藤博文に関する写真/資料展示やゆかりの美術品・調度品が展示されています。
庭園はごくシンプル。客間から眺めると海の風景と芝生の中に植わったマツが鎮座。「修復工事の際にシンプルになったのか…?」と思ったけど、パンフレットにある大正時代の絵葉書を見るとほぼこのまま(※その絵葉書の頃へ復元されたのが現在)。
山口県萩市の『伊藤博文別邸』の紹介の中で伊藤博文の西大井邸(の庭園)についても書いたけど、同郷の山縣有朋とは対照的にそんなに庭園にこだわりがない…というか、造形性・芸術性を求めていない人だったのかな、とは感じる。建物内も派手な欄間とか意匠が無いし。(現在復元整備中の『明治記念大磯邸園』内『滄浪閣』の整備が終わった時にどういった姿になるかでまた印象変わるかもだけど)
ただ、この海沿いの景勝地に茅葺屋根の建築を建てさせたというのは、山荘風――と言うとお茶の世界っぽいけど、田舎っぽく質素なものに安らぎを覚える方だったのだろうか、と想像。
また皇居から西大井の邸宅に下賜・移築され、現在は『明治記念館』として現役の『旧赤坂仮皇居御会食所』は西大井ではなくこの金沢別邸に移築する予定だったのだとか。
また、旧伊藤博文金沢別邸の庭園にはかつて江戸時代以降野島の名所として親しまれた“永島家牡丹園”(旧永島邸庭園)が復元されており、春にはぼたんまつりが開催されています。
(2021年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)