“天領日田”で有名な重要伝統的建造物群保存地区“日田市豆田町”の路地裏に残る、“三大詩人”広瀬淡窓の旧宅の庭園。国指定史跡。
廣瀬淡窓旧宅・隠宅庭園/長生園について
「広瀬淡窓旧宅」(ひろせたんそうきゅうたく)は“天領日田”で知られる大分県日田市の国の重要伝統的建造物群保存地区“日田市豆田町”の中心部にある、江戸時代の儒学者/詩人・廣瀬淡窓の旧宅。
“北家”と“南家”に分かれ、このうち“北家”は『廣瀬資料館』として一部一般公開(*2023年まで保存工事のため休館中)。“南家”には江戸時代後期に作庭された“隠宅庭園”があります。「廣瀬淡窓旧宅及び墓」として国指定史跡、日本遺産『近世日本の教育遺産群』にも構成。
2022年2月の福岡遠征、今回は庭園じゃなくて町並みへ…と思い、先に紹介した『居蔵の館』、『鏡田屋敷』の筑後吉井と同じく6年半ぶりに大分県日田市の豆田町の古い町並みへ。
城下町から派生し江戸時代には九州の交通の要衝として栄えた“天領日田”。先に紹介した日本遺産『咸宜園』を開いた広瀬淡窓は日田で江戸時代初期から続く有力商家に生まれ育ち、その環境の中で頼山陽や菅茶山と並び“三大詩人”と称される文化的センスを磨き、また塾経営の支えにもなりました。
“魚町通り”を挟んで合計約2,000m2の敷地に建つ廣瀬家。今回写真を紹介してるのは“南家”だけですが、“北家”は主に江戸時代後期に建立された主屋・新座敷・土蔵によって構成(本当はこちらにも庭園が)。
近年開放のはじまった“淡窓の歩いた路地”を抜けた先にあるのが「廣瀬淡窓旧宅南家」。淡窓の弟で、家業を継いだ六代目広瀬久兵衛の隠宅として主に用いられた空間で、建築も1850年(嘉永3年)頃のもの。
“隠宅”の南の側面は雨戸など現代っぽくなっているけど、北側は庭門〜“竹韻”の額の掛かる玄関へと至る園路にも目がいく数寄屋風の空間で、豊後岡藩や筑前秋月藩から宗匠を招きお茶の稽古などをされていたそう。
庭園も建築と同時期に作庭されたもので、南側には用水路を園池として取り入れた“流れの庭”が、東側〜北側には露地風の庭園が広がります。廣瀬淡窓も花見などたびたび訪れ、長崎の南画家の木下逸雲もこの庭園をモチーフに絵画を描いたエピソードも残るとか。(なお庭園を歩きたい場合は、事前に資料館に申し出れば可能とのこと。今回は休館中だったので外からの眺めだけ…)
旧宅から南へ徒歩5分程の場所にあるのが広瀬家の墓所『長生園』。先に国指定史跡になっていたのは旧宅ではなくこちら。元は広瀬家の別邸があった場所を淡窓が広瀬家の墓所と定め、後に淡窓自身やその後を継いだ塾長・広瀬旭荘、広瀬青邨、広瀬林外らの歴代塾主の墓所も置かれました。あわせて立ち寄ってみて。
(2022年2月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR久大本線 日田駅より徒歩11分
日田駅からコミュニティバス「豆田町」バス停下車すぐ(*本数はそんな多く無い)
〒877-0005 大分県日田市豆田町10-10 MAP