徳川綱吉に重用された大名、大聖寺藩3代藩主・前田利直が藩邸の庭園として作庭した庭園。国指定重要文化財の茶室“長流亭”は小堀遠州の設計とも?
江沼神社庭園(旧大聖寺藩邸庭園)・茶室「長流亭」について
「江沼神社」(えぬまじんじゃ)は“加賀百万石”加賀藩の支藩:大聖寺藩の藩主・前田氏の邸宅/陣屋をルーツとする神社。その庭園は江戸時代中期の作庭で「旧大聖寺藩邸庭園」として加賀市指定名勝。また境内にある大名茶人・小堀遠州の設計とも伝わる茶室「長流亭」は国指定重要文化財となっています。
2024年、北陸新幹線の開通で首都圏からもグッと行きやすくなる「加賀温泉」。その加賀温泉の在来線の隣駅・大聖寺駅が加賀市の旧市街で、江戸時代には加賀百万石・前田家の分家が藩主をつとめる支藩・大聖寺藩の城下町でした。駅から10分〜15分歩けば城下町時代の町割りがよく残る町並みも見られます。
そんな大聖寺藩は江戸時代初期、三代目の加賀藩藩主・前田利常の時代に支藩として立藩。やがて、元々中世の城郭「大聖寺城」のあった錦城山の麓に大聖寺藩陣屋(藩庁)を構え藩主・前田家のお屋敷も置かれました。
江沼神社は1704年(宝永元年)大聖藩三代目藩主・前田利直によって邸宅内に前田家の遠祖の菅原道真を祀る天満天神社を建立したのがはじめとされ、その後別の神社との合併を経て江沼神社となり、現在では菅原道真とともに大聖寺藩初代藩主・前田利治が祀られています。
江沼神社庭園(旧大聖寺藩邸庭園)や国指定重要文化財の茶室「長流亭」が造営されたのもほぼ同時代の1709年(宝永6年)。前田利直は江戸幕府五代将軍・徳川綱吉の側近として重用されていたため江戸に居る時間が長く、大聖寺に居る期間はあまり無かったそうですが、綱吉の死去にともない大聖寺に戻ることになった利直の休息の場として造営されたのがこの庭園・茶室。
庭園は金沢『兼六園』から影響を受けたという池泉回遊式庭園。鳥居から見て奥には大きな築山も設けられ、深山幽谷が表現されています(兼六園と比べると、よくお手入れされた――とは言えないかもしれませんが、池泉や中島、その石積などは古庭園の面影が感じられる。秋の紅葉が人気だそうですが、冬の梅や春の藤に楽しめる花々や、梅雨時に訪れたい苔が綺麗な園路も。
そして大聖寺川を眼下にのぞむ一角に残るのが「長流亭」(当初の名は「川端御亭」)。常時公開ではないので希望の方は神社に問い合わせを。
一説には江戸時代を代表する茶人・小堀遠州の設計とも言われます。遠州が亡くなってから数十年も経ってる年代なので、何らかの図が残されていてそれに基づいて建築された…?なお、お隣の小松市・粟津温泉には遠州が立ち寄った温泉があったり、『那谷寺』の書院(国重文)に小堀遠州が関与した説があったりと、なんとなーく遠州の加賀国での足跡はある。
その他、境内では「梅花庵」も国登録有形文化財。また近隣には『深田久弥 山の文化館』も。また城下町では毎年春・秋に庭園の特別公開が行われている『山ノ下寺院群』もあります。新幹線で加賀温泉・あわら温泉に宿泊に訪れた際には、大聖寺にも足を伸ばしてみて。
(2019年3月、2023年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)