長楽寺庭園

Chorakuji Temple Garden, Murakami, Niigata

戦国時代には“越後の鬼神”本庄繁長、江戸時代には村上藩主の菩提寺となった寺院の、ノムラモミジが美しい庭園。

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長楽寺庭園について

「万年山 長楽寺」(ちょうらくじ)は“越後の鬼神”とも称された上杉家の重臣・本庄繁長ゆかりの寺院。本堂の裏には春にノムラモミジが真っ赤に染まる池泉回遊式庭園があります。2019年から始まった国交省のガーデンツーリズム制度の「にいがた庭園街道」にも名を連ねる庭園。

2019年5月に初めて城下町村上の庭園を巡りました。村上の町では毎年5月に『城下町村上 春の庭 百景めぐり』という、いわゆるオープンガーデンのイベントを開催しています。これは元々の歴史ある城下町という背景から、町家・商家・武家屋敷・寺院とそれぞれに“優れた庭園が残っている”という所に価値が見出され、観光イベントとして広く開かれたもの。
2020年のイベントは残念ながら中止となってしまいましたが、2019年の『春の庭 百景めぐり』で訪れた場所をいくつか紹介。

村上城を築いたのは越後の豪族(国人)・本庄房長で、本庄繁長はその息子。長楽寺は室町時代の1540年(天文9年)に本庄氏の菩提寺として創建され、その後本庄氏に伴って現在地に移転しました。
“鬼神”という評価が気になって本庄繁長のWikipediaを読むと、上杉家の重臣として川中島の戦いなどにも参戦する一方、時には上杉謙信にも反旗を翻すなどなかなかエピソードに事欠かさない武将。関ケ原の戦いを前にして上杉景勝の命により村上城から福島城に移り、福島城主として伊達家と上杉家に挟まれながら晩年を過ごしました。墓所は福島市の同名の「長楽寺」にあります。

この村上の長楽寺は江戸時代には村上藩城主・本多家(本多忠勝の系統)や榊原家の菩提寺となり信仰されたそう。本堂裏にある池泉回遊式庭園については作庭年代などの詳細は不明ですが…心字池や山の斜面の感じが会津若松の『大龍寺庭園』(江戸時代初期作庭)と雰囲気が似ている気がする。
特徴はなんと言ってもノムラモミジが沢山植わっていること!今回訪れた5月にも“紅葉のピーク”のごとく真っ赤に染まっていたのがとても印象的でした。そして斜面からは北側に見える山々の借景が美しい!

長楽寺から徒歩1~2分の場所には同じく『春の庭 百景めぐり』で公開される『満福寺庭園』があります。同じ山のすそには他にも寺院が立ち並んでいるので、寺社仏閣巡りの際にはそちらもチェック!

(2019年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR羽越本線 村上駅より徒歩20分弱
村上駅よりコミュニティバス「県営南町住宅前」バス停下車 徒歩3分

〒958-0851 新潟県村上市羽黒町11-43 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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