国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定の“薩摩の小京都”知覧武家屋敷通り。国指定名勝庭園だけでなく町並み込みの“庭園都市”!
知覧武家屋敷庭園について
「知覧武家屋敷庭園」(ちらんぶけやしきていえん)は鹿児島県南九州市・知覧に残る江戸時代の武家屋敷にかつて作庭された庭園群。“薩摩の小京都”とも呼ばれるかつての武家屋敷通りは国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。
国指定文化財(国指定名勝)の7つの庭園の写真・説明は以下よりご覧ください。ここでは主に知覧の町並みや歴史について紹介!
- [1] 西郷恵一郎氏庭園 / Saigo Keichiro’s Garden
- [2] 平山克己氏庭園 / Hirayama Katsumi’s Garden
- [3] 平山亮一氏庭園 / Hirayama Ryoichi’s Garden
- [4] 佐多美舟氏庭園 / Sata Mifune’s Garden
- [5] 佐多民子氏庭園 / Sata Tamiko’s Garden
- [6] 佐多直忠氏庭園 / Sata Naotada’s Garden
- [7] 森重堅氏庭園 / Mori Shigemitsu’s Garden
- [8] 旧高城家住宅 / Kyu-Takagi House Garden
江戸時代、薩摩国/大隅国/日向国の一部(現在の鹿児島県+宮崎県の割と広範囲)に及んだ薩摩藩を治めた大大名・島津氏。
そんな広い領地を治めるために導入された薩摩藩独自の制度「外城制」。武士を鹿児島の城下町だけに集積させるのではなく、藩内の各地に「麓(ふもと)」と呼ばれる小さな城下町のような武家集落を形成させ住まわせました。その数は100以上(113)!
この「麓」の名は主に中世までの旧城(山城とか)の麓にその集落が形成されたことから。現在ではこの知覧のほかにも、『志布志麓』には国指定名勝の庭園群が、そして『出水麓』や『入来麓』が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。そんな「麓」の代表格と言えるのが知覧麓。
元は大隅国で発祥し、室町時代(南北朝時代)に知覧城に入った佐多氏。江戸時代に入り、薩摩藩二代目藩主・島津光久の子の島津久逵が佐多氏に入って以降は当主は島津姓を名乗り“知覧島津家”とも呼ばれたそう。
現在見られる武家屋敷通りの町並みはその2代後、薩摩藩主・島津継豊の子でもあり知覧島津氏に入った島津久峰が領主だった江戸時代中期に形作られたもの。国指定名勝の庭園のみならず、この知覧では母ヶ岳を借景とした約1kmにも及ぶ美しく刈り込まれた生垣・植込の街並みを見ることができます。
これは島津久峰が藩主に伴って参勤交代で江戸まで参じた道中の京都の町並みに影響を受けた…とも、琉球・中国の影響を受けたとも言われます。
街並みの最西部にある大銀杏の木は京都から持ち帰った苗木から育ったもの、その一方でメインストリートの突き当たりにある“石敢當”は琉球・沖縄でよく見られる魔除け。なので両方の影響を受けてミックスされたのが知覧…とも言える。
国指定名勝には含まれず、フリースペースとして公開されている「知覧型二ツ家」でも刈込の枯山水庭園を見ることができます。休憩がてらチェックしてみて!
国指定名勝の7つの庭園の写真・説明は上記のリンクよりご覧ください。
(2013年2月、2017年12月、2022年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)