夢窓疎石作庭と伝わる高知で唯一の国指定名勝庭園。土佐藩主・山内家寄進の本堂・書院は国指定重要文化財。
竹林寺庭園について
「五台山 竹林寺」(ちくりんじ)は奈良時代に行基により創建され、江戸時代には土佐藩主・山内家の祈願寺として栄えた高知市の代表的な寺院。本堂・書院が国指定重要文化財となっているほか、世界遺産『天龍寺庭園』、『西芳寺庭園』などの作者・夢窓疎石により作庭と伝わる庭園が国指定名勝となっています。2021年年始、4年ぶりに拝観しました!
奈良時代の724年(神亀元年)、聖武天皇の勅願により創建。ご本尊の文殊菩薩は創建の際に行基により造られたもので、日本三文殊の一つにも挙げられ国内に現存する文殊五尊像としては最古の例として挙げられます。更に宝物館では藤原時代~鎌倉時代に造られた国指定重要文化財の仏像十七体が安置。
平安時代に弘法大師空海が訪れ、現在では真言宗智山派に属し、四国八十八箇所霊場では第31番札所。
江戸時代には土佐藩主・山内家の祈願寺となり、国指定重要文化財の本堂(文殊堂)は1644年(寛永21年)に二代目藩主・山内忠義による造営。その他の建物は江戸時代後期の1808年(文化5年)に火災で焼失してしまったため、この本堂が現存する最も古い建造物。本堂と同じ高台にある五重塔は総檜造りで1980年(昭和55年)に再建されたもの。
火災の8年後、1816年(文化13年)に十二代目藩主・山内豊資の寄進により再建されたのが本堂と同じく国重文の「書院」(客殿)。藩主が参詣した際の接待殿として造営されたもので、欄間や窓枠の意匠は高知城本丸御殿と類似する点が多く見られるそう。
そんな書院の三方をぐるりと囲む庭園(北庭・西庭・南庭)。寺伝では、鎌倉時代後期の1318年(文保2年)に土佐に逃れ、五台山の麓に『吸江庵』を結び滞在した夢窓疎石(夢窓国師)による作庭と伝わります。
ただ国指定文化財としての解説では《江戸時代後期の池泉庭園に共通する地割と意匠に基づき作庭されたもの》とあり…江戸時代後期の書院建築の際にかなり改修されたのが今日見られる庭園ということかな、と思います。
■北庭(6~11枚目)
山の斜面と奥行きを活かした庭園。一番奥に山の湧水を利用した池泉庭園があり、そこに近寄れないのは残念ですが…山の中腹に植わっている巨石、そして手前にある2~4つ程の巨石が何かを表わしているんだろうな…という庭園。立ち入れない奥書院側から眺めたらまた違った奥行きが感じられるんだろうな。
■西庭(12~17枚目)
こちらも山の斜面を活かした池泉鑑賞式庭園。中国の廬山と鄱陽湖の風景を模したと言われ、北庭と比べると暗いけどそれにより幽玄な雰囲気を醸します。赤い絨毯と苔の緑の組合せや、建物手前の直線的な護岸石組が特徴的。秋には頭上を紅葉が覆います。
■南庭(18枚目)
比較的新しい庭園に見えるけど、文献等から「白砂の庭があった」ということが近年判明し、復元の過程にあるとのこと。
改めて訪れてやはり迷うのは、「北庭と西庭、どっちがメインなんだろ?」ということ。お寺の公式や国指定文化財等データベースでキービジュアルとして選ばれてるのは西庭。こちらの方が間近に池・苔・紅葉等が眺められて絵になるのもわかる。
けど藩主のための上段の間は北庭を正面に眺められる位置にあるので、主庭はどちらかと言えば北庭だったんだろうなあと。その飛び石を回遊するとどんな風にこの庭園は見えるんだろ。
土佐三名園の一つに数えられる竹林寺庭園。残りの二つは高知市から西方にある佐川町にあります。有名な街ではないけどぜひ足を運んでみてください。
あと4年前初めて訪れた時は竹林寺だけ拝観して、隣接する『高知県立牧野植物園』に建築家・内藤廣さんが手掛けたランドスケープがあるとは露知らず入園せずだったのですが…今回は牧野植物園や、夢窓疎石が居住した『吸江庵跡』(高知県指定史跡)にも立ち寄りました。後日紹介。
(2017年1月、2021年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR土讃線 高知駅より約5.5km
JR高知駅よりMY遊バス「竹林寺前」バス停下車すぐ
※MY遊バスのダイヤ以外の選択肢として、路線バス「南吸江」バス停から山を登る選択肢も。
〒781-8125 高知県高知市五台山3577 MAP