有斐斎弘道館

Yuhisai Kodokan Garden, Kyoto

江戸時代の有名儒学者・皆川淇園が開いた学問所をルーツとし、京都市民/有志により取壊しの危機を乗り越え守られ続けている数寄屋建築と苔の美しい庭園。

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有斐斎 弘道館について

【予約制またはイベント開催時に開館】
「有斐斎 弘道館」(ゆうひさいこうどうかん)は京都の中心『京都御所』の西側、“御所西”エリアに佇むお屋敷を活用した文化施設。江戸時代中期の儒学者・皆川淇園が京都に創設した私塾・学問所をルーツとし、京都市民の選ぶ『京都を彩る建物や庭園』にも認定されている、知る人ぞ知る数寄屋建築と庭園。

2025年2月、特別企画展『語りかける庭』展で久々に訪問、ちょうど積雪した日でもあったのでその様子も交えて紹介。
なお、常時公開施設ではありませんが、事前予約制での公開および、頻繁に講座やイベントが開催されてます。スケジュールは公式サイトをご確認ください。

まずは皆川淇園について簡単に説明。

●江戸時代中期の京都を代表する儒学者
●3,000人も門弟がいた
●中には平戸藩主・松浦静山(大名茶人としても有名)、丹後宮津藩主・松平宗允、膳所藩主・本多康完、亀山藩主・松平信岑といった大名勢も含まれ、身分・宗派問わずその教えが支持された
●絵画にも優れ、円山応挙に師事し、与謝蕪村長沢蘆雪とも交流があった

そんな淇園が晩年の1806年(文化3年)、先述の藩主をパトロンとして開いたのが「弘道館」。淇園自身はその翌年に亡くなり弘道館で教鞭を取った期間は短かったそう。
「蛤御門」からすぐ近くの弘道館の当初の建物などは幕末に一度焼失。現在残る建物は明治時代に再建され、昭和時代に一部増改築されたもので、表千家八代・啐啄斎好みの茶室の写し「汲古庵」と「有斐斎」など複数の茶室を備えた数寄屋建築。また、門の前に立つ“皆川淇園弘道館址”の石碑は大正時代のものだそう。

当初の建築ではなくとも、御所西の貴重な近代の和風建築——でしたが、現代に入ると2009年にはマンション建設により取り壊しの危機に。

その中で現在の館長・濱崎加奈子さん(伝統文化研究家・歌人・京都観光おもてなし大使)を中心として、研究者・学者・地元の方々など有志による保存活動により、保存が成就すると共に2013年からは公益財団法人として運営。
学問所だった「弘道館」の設立背景にならって学問・文化サロンとして施設運営されており、それ以外にもお茶会/能楽体験/花街文化体験/歴史や文化を学ぶ講義/そしてお庭の手入れ体験…などなど様々なイベントが開催されています。京の文化を学べるサロン――素敵なコンセプト。また展覧会ごとのしつらえも、狩野探幽円山応挙藪内竹心レオナール・フジタなど江戸時代から近現代の作家まで様々な書画がしれっと展示されていたり…!

建物の周囲には苔むしたお庭が広がります(——とその前に、アプローチ〜玄関前の石畳/延段や待合もとにかく綺麗で素敵!)。苔の中に飛び石と5つものつくばい、そして石造物や庭門が配された、お茶のための茶庭・露地庭。
現在は一面苔の美しいお庭ですが、2009年時点では草もボウボウに生え荒れ果てていたそう。それが有志によって再生され、令和の現在も毎日、有斐斎弘道館の理事で老舗“老松”の主人/和菓子職人/茶人・太田達(太田宗達)さんを中心としてボランティアの方々によりお手入れされています。更には「茶会ごとにお庭を作り替えている(※装いを変えている)」とか。

弘道館が再興されて10周年を迎えた2019年には、再興に携わった方々のインタビューが公式サイトで公開。『京の学びとは』みたいなことを色んな視点で語られていて面白いので、併せてどうぞ!

弘道館再興10周年記念サイト

(2019年11月、2025年2月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

京都市営地下鉄烏丸線 今出川駅より徒歩10分/丸太町駅より徒歩12分
最寄りバス停は「烏丸下長者町」バス停 徒歩5分

〒602-8006 京都府京都市上京区新町東入ル元土御門町524-1 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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