京都の世界遺産“天龍寺”“西芳寺”庭園の作庭者・夢窓疎石の山陽地方に残した唯一の庭園?地元・岩国の黒川造園の石庭も。岩国市指定名勝。
永興寺庭園について
「不動山 永興寺」(ようこうじ)は“日本三大奇橋”の一つで国指定名勝の『錦帯橋』からも程近く、岩国城主・吉川家の居館跡や国指定重要文化財『吉香神社』も含む都市公園『吉香公園』の一角にある臨済宗天龍寺派の寺院。境内には京都の世界遺産『天龍寺庭園』や『西芳寺庭園』の作者・夢窓疎石(夢窓国師)の作庭と伝わる庭園があります。岩国市指定名勝。
2019年秋に5年ぶりに錦帯橋と吉香公園を訪れた足で、岩国の紅葉の名所『紅葉谷公園』を散歩――していたら、道沿いにあるお寺の門の先に“名勝 永興寺庭園”の柱が…!この庭園はノーマークでした。自由拝観形式で2つのお庭が拝観できます。(2022年夏に再訪したのでその写真を追加)
お寺の歴史について。鎌倉時代末期の1309年(延慶2年)に周防国守護をつとめた大内氏の八代目当主・大内弘幸が開山に禅僧・仏国国師を迎え創建。大内弘幸の子・大内弘世の代になると父の菩提を弔うために七堂伽藍を整備し、幕府に官寺として認められるなど大寺院に。
その過程で?永興寺の二代目住職として迎えられたのが夢窓疎石(夢窓国師)。現在も寺内には夢窓国師坐像が残ります。以前読んだ夢窓疎石を取り上げたムック本では周防国に行った足取りはなかったけれど…ムック本の方が信憑性高いかと言えばそんなことないと思うので…信憑性よりも“この場所にそんなお寺が!”という出会いが楽しい。
また大内弘幸・大内弘世は室町幕府将軍・足利尊氏とも関係が深かったらしく。足利尊氏もまた夢窓疎石を重用した一人なのでその辺の繋がりが見えてくる。
戦国時代の末、大内氏は滅亡していまいますが、その後は毛利元就、毛利輝元は永興寺を宿陣にするなど手厚く保護します。その頃までは現在の吉香公園一帯が永興寺の境内だったようですが、関ヶ原の戦いの後に岩国に入った吉川広家の居館の建設地となり寺院は消滅の危機に。
周伯玄雍禅師の懇願により廃寺は免れ1616年(元和2年)に再興、明治時代の廃仏毀釈で規模は縮小しながらも現代まで残り続けました。
まずは門を入ってすぐの薬師堂の前にある枯山水庭園。この白砂の美しい石庭は2014年(平成26年)に作庭された新しい庭園で、作庭者は地元・岩国市の黒川造園さん。公式HPもSNSもないような地元のお庭屋さんだけど、岩国市内に非公開の“苔華庭”という美しい庭園も作庭されている。近年は公開されていないようだけどいつか見たいな…。
この薬師堂の中では仏師・快慶の作と伝わる薬師如来坐像が安置されています。
そして境内の奥、城山の岩壁を活かした枯山水庭園があります。岩国市の指定文化財となっているのはこちらの庭園で、寺伝によると室町時代に夢窓疎石により作庭されたもの。(岩壁と建築の中間点にはまた別の枯山水の石組がありますが、これはまた別の時代のもの)
自然の岩肌を枯滝(龍門瀑)に見立てるなど岩壁を活かした庭園という点では鎌倉の『瑞泉寺庭園』に近い雰囲気を感じさせるけど、京都の『天龍寺庭園』などとの類似性を感じる――との評も。今現在、立石組や紅葉の木があるあたりまでかつてはお堂があって、そこから岩肌を鑑賞する…という庭園だったのかな。
最後にも一つ面白いのが。2019年に訪れた時に写真に撮った復興計画図面を見ていたら、クレジットに「枡野俊明+日本造園設計」の文字が…。お聞きしたところ今後枡野俊明さんが新たな庭園を作庭する予定があるのだとか。2022年の時点ではまだ変わっている様子はなかったけれど、また見に訪れたい!
(2019年11月、2022年7月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR山陽本線 岩国駅より路線バス「錦帯橋」バス停下車 徒歩10分
JR岩国駅より約5km(レンタサイクルあり)
JR岩徳線 川西駅より徒歩20分
〒741-0081 山口県岩国市横山1丁目10-27 MAP