筒井順慶・豊臣秀長が築城した続日本100名城の城郭と旧郡山藩主・柳沢伯爵家が造営した近代和風建築と庭園。
郡山城・柳沢文庫について
「郡山城」(こおりやまじょう)は奈良・大和郡山市の中心部にある奈良県指定文化財・史跡の城郭(城跡)で、続日本100名城にも選定。その本丸跡には江戸時代に郡山城主だった柳沢家により開かれた『柳沢文庫』(やなぎさわぶんこ)があります。
郡山城には2年続けて足を運びました。2020年に訪れた際は柳沢文庫がお休み中だったので、2021年に再訪。城内各地で修復・修繕作業が進行しているようで、2020年には開放されていた柳沢文庫前庭&あずまやは囲いで見られなくなっていたけれど、昨年の写真も交えて紹介。
戦国時代の末の1580年(天正8年)、織田信長の支援で大和を統一した武将・筒井順慶により築城がスタート。信長の死後、豊臣家の天下になると豊臣秀吉の弟・豊臣秀長や“五奉行”のひとり・増田長盛が入城し、現在も見られる大きな石垣/城郭が整備。
江戸時代以降は徳川家と縁深い松平家・本多家などが入城したのち、江戸時代中期の1724年(享保9年)に甲斐国・甲府藩から柳沢吉里が入城。そこから明治維新を迎えるまでの約150年間の大和郡山は“郡山柳沢家”により治められました。
この柳沢吉里の父は五代目将軍・徳川綱吉の側近として有名な柳沢吉保。当サイト的には東京『六義園』のオーナーとしてもたびたび登場する重要人物。吉里自身も市民・町民からの評価が高く、城内には吉保・吉里の2人を祭神とした『柳沢神社』も建立されています。ヤナーギサーワ!
明治維新後は廃城となり天守閣は残っていませんが、昭和年代には追手門・追手向櫓・多聞櫓・追手東隅櫓などの建造物が再建。2017年(平成29年)に天守台の石垣が修復、展望施設として整備されたのをはじめ、2021年現在も城内の石垣の大規模修復が進行中。“日本さくら名所100選”にも選ばれた都市公園「郡山城跡公園」として市民に親しまれています。
そんな郡山城の本丸、毘沙門曲輪にあるのが『柳沢文庫』。柳沢吉保から数えて8代目の柳沢伯爵家当主・柳沢保承を中心として発足した「財団法人郡山城史跡・柳沢文庫保存会」によって1960年(昭和35年)に開館。柳沢家が所蔵していた史料・古文書・美術品などを所蔵、公開しています。運営は郡山市ではなく前述の現・公益財団法人。
その大玄関(車寄せ)が特徴的な建築は柳沢家の郡山別邸として利用されていたもので、1905年(明治38年頃)に建立されたエリアと、東京・芝の柳沢家本邸の一部を関東大震災の後の区画整理に伴ってこの地に移築したもの。展示室として用いられている和風座敷は格天井、そして図書室となっている応接間は洋風…という和洋折衷の近代和風建築。
柳沢文庫の前にある茅葺の四阿と庭園。これらは東京から本家の一部が移築されたのにあわせて築造/作庭されたもの(日本庭園って感じではないけど)。現在は四阿の周辺は色んな刈り込みが植っていますが、当初は菱形の金魚池が設けられ、金魚飼育法の研究の場として全国から多くの見学者が訪れていたとか。大和郡山が“金魚のまち”となっていくのはそれ以降のこと。
柳沢文庫では年に数回企画展が開催され、今回訪れた時に開催されていた《柳澤吉保を支えた女性たち》展では狩野岑信筆の『六義園図』や柳沢家が六義園で詠まれた和歌なども展示(関西に人にとっては六義園って案外知名度が無いかもなって気がするので、この展示いいなって思った)。
そのほか郡山城内には同じく明治時代に建立された近代和風建築『旧奈良県立図書館』(城址会館)も。お城ファン以外の方もチェック!
(2020年7月、2021年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
近鉄橿原線 近鉄郡山駅より徒歩10分
JR奈良線 郡山駅より徒歩15分強
各種路線バス「やまと郡山城ホール」バス停下車 徒歩5分
〒639-1011 奈良県大和郡山市城内町2-255 MAP