創業安土桃山時代。頼山陽に岩倉具視、夏目漱石に正岡子規、北大路魯山人も通った洛北の老舗の庭園。
山ばな 平八茶屋について
【店舗利用者向け】
「山ばな 平八茶屋」(やまばなへいはちぢゃや)は安土桃山時代から約440年続く京都・洛北の老舗料亭/旅館。古くは頼山陽に岩倉具視、近代には夏目漱石・正岡子規・高浜虚子といった明治~昭和の文豪、そして北大路魯山人も訪れた名店で、江戸時代後期に建立された主屋や昭和初期に作庭された庭園等が残ります。
2021年に入って京都や大阪、東京で大き目な料亭や旅館の閉店や売却の発表が続いている。色々思うことはあるけど、自分がすぐ出来ることは「行くこと」。昨年までは1名でお断りされていたお店も今は割と予約を受入れていただけるので、この春はそのような場所に積極的に足を運んでいます。勿論実費(自分がどういう人間かなんて言わないので。残って欲しい場所にお金を使いたいだけ)。
叡山電車・修学院駅から北へ5分ほど。東に比叡山、建物西側に鴨川の支流・高野川をのぞむ景勝地に、旧若狭街道(鯖街道)の御茶屋として天正年間に創業。江戸時代には小浜藩主・酒井家の脇本陣としても利用。
幕末には、洛北に隠棲した岩倉具視や岩倉を追う新撰組も訪れたそうで、主屋には新撰組による刀傷も。日本の代表的歴史書の一つ『日本外史』をまとめた儒学者・頼山陽も訪れた人間のひとりで、『山陽詩鈔』という作品の中に記しました。
そして近代には夏目漱石は高浜虚子とこの場を訪れ、『虞美人草』『門』の中でその存在を記したほか、陶芸家/美食家・北大路魯山人は18代目と懇意だったことで足繁く平八茶屋に通われました。
現在見られる建物のうち、商家造りの主屋は1797年(寛政9年)に再建されたもので京都市の景観重要建造物。約600坪の日本庭園は昭和初期の作庭で、築400~500年以上と言われる茅葺きの特徴的な門“騎牛門”が萩の禅寺から移築されたのも同時期。てことは庭園が眺められる大広間や宿泊棟にもなっている幾つかの離れも近代のものかな。
新緑のこの時期に訪れるとまさに緑一面のお庭。現在管理に入られているのは十二代目小川治兵衛、御庭植治の小川勝章さん。庭園内を通る流れには初夏には蛍も舞うそう。
創業以来440年の名物は“麦飯とろろ汁”。ぜひ味わってみて。園内には飛鳥時代から洛北(主に八瀬)に伝わる“和風サウナ”かま風呂も。宿泊者だけじゃなく食事利用者も追加料金で利用可。歴史に刻まれたお店、一度と言わずまたハレの日やなんかに訪れたいなあ。
(2021年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)