歴代松江藩主や大正天皇、昭和天皇、東郷平八郎や川端康成らも訪れた出雲を代表する旧家の出雲流庭園。国指定重要文化財。
八雲本陣(木幡家住宅)庭園について
「八雲本陣」(やくもほんじん)は江戸時代には松江藩主の本陣宿をつとめ、皇太子時代の大正天皇や昭和天皇も滞在した出雲地方を代表する旧家・木幡家の邸宅。「木幡家住宅」として江戸時代~近代の間に建てられた12件が国指定重要文化財。そしてそれぞれの部屋から出雲流庭園が眺められます。
2020年秋に島根県の庭園を巡った際に初めて訪れました。宍道湖の最南西部の角のあたり、旧山陰道の宿場町・宍道の中心に位置します。今回訪れた中では「最も駅近の庭園」。笑。
室町時代に京都から当地に移住した木幡家。江戸時代に新田開発や酒造業で豪商として栄え、また藩の役職・下郡役もつとめました。そのため藩主の領内巡視や出雲大社参詣の際に本陣として用いられ、現在の屋号の由来に。
明治時代には皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)の山陰行啓の際の御昼餐所となったほか川端康成、松本清張といった文豪も訪れたそう。1982年(昭和57年)には昭和天皇が島根国体の際にこの八雲本陣をご視察。なおこの場所に前に滞在していたのが、玉造温泉の『長楽園』。
国重文となっている主屋・奥座敷棟・新座敷棟・新奥座敷棟・飛雲閣・米蔵・新蔵・三階蔵のうち、蔵を除いて最も古い建造物は、1733年(享保18年)建築の主屋。
そして藩主や皇太子のための御成門から白砂と飛び石が主体の出雲流庭園を挟んで正面にあるのが、明治時代初めに増築された新座敷棟。新座敷棟には松江藩の家老・朝日家の旧邸の一部を移築した“朝日丹波の間”があり、その奥庭にはあわせて朝日家より移築された“松平不昧公お好みの手水鉢”も。不昧公が摂津・御影から持ち帰ったものなのだとか。
ちなみに。明治時代の木幡家には同じく松江藩家老・大橋家から千利休作と伝わる茶室も移築されていました。その茶室は現在、家老・朝日家の屋敷跡に完成した『松江歴史館』の中に再移築されています。巡り巡る。
そして1902年(明治40年)に皇太子時代の大正天皇のために造営された“飛雲閣”。手掛けられたのは近代の出雲地方を代表する大工棟梁“木匠家”“松雲”川島徳次郎。
と、八雲本陣側の情報には記されていなかったので、昭和天皇の宿泊所になった玉造温泉の『保性館幽泉亭』の時の資料がソースですが。幽泉亭が庭園も川島徳次郎だったけど、八雲本陣も大正天皇行啓の際に庭園を整備したっぽいことが書かれているので、こちらの庭園もこの人なんじゃないかな…。
“飛雲閣”と名付けた?のはその行啓に同行していた東郷平八郎で、室内には東郷平八郎筆の墨書が残ります。同じようなこと高知の『三翠園』でも書いたな。主庭でひときわ目立つ松も東郷大将のお手植えによるもの。
…説明では省略してるけど、各年代に増築されていった豪商の邸宅。展示されているお軸や襖絵に屏風、欄間とかの意匠もすごいの!!
ちなみに“旧〇〇家”とつかないのは、現在もこの邸宅は木幡家のものだから。『菅田庵』、『櫻井家』、『絲原家』と当時の有力家が現在も古建築や庭園を残しているのが出雲のすごさであり、都会のような競争にさらされなかった故なのかもしれない。環境は違えど貴重な姿には違いないので、末永く守られてほしい場所です。
(と同時に、木幡家のもう一つのお屋敷『木幡山荘』が近年は公開していないとのことで…敷地面積がこの邸宅の10倍!とかで逆に維持が難しくなってる面があるのかな…と思うとやはりそう簡単ではないよなあとか。新緑や紅葉の名所、いつか見る機会があればうれしい)
(2020年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)