打吹公園・飛龍閣

Utsubuki Park / Hiryukaku Garden, Kurayoshi, Tottori

鳥取屈指の桜の名所。明治時代に造園された都市公園と、皇太子時代の大正天皇の宿泊所となった近代和風建築“飛龍閣”の庭園。

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打吹公園・飛龍閣について

「打吹公園」(うつぶきこうえん)は国の重要伝統的建造物群保存地区・倉吉市打吹玉川の“白壁土蔵群”の町並みからもすぐの場所にある、“日本の都市公園100選”にも選定された都市公園。
明治時代、後に大正天皇となる皇太子様の行啓に際し造園され、その際に造営された宿泊所『飛龍閣』が国登録有形文化財。公園内には約4,000本の桜が植栽され、山陰屈指の桜の名所として“日本さくら名所100選”にも名を連ねます。

2022年春に約6年ぶりに倉吉へ。目的は先に紹介した国・県の文化財庭園『小川氏庭園“環翠園”』だったけれど、打吹公園・飛龍閣の庭園も近代に造園されたランドスケープ。(打吹公園の麓にある『倉吉博物館』は前回ものぞいたけど、飛龍閣は知らんかった…)

古くは南北朝時代、伯耆国の守護大名・山名家が『打吹城』を築いた打吹山。打吹城は戦国時代を経て廃城になったものの、江戸時代には打吹山麓に倉吉陣屋が置かれました。

明治時代後期にとり行われた皇太子(後の大正天皇)の山陰行啓。この時に宿泊所となった場所としては鳥取市の『仁風閣』や島根・松江の『八雲本陣』がありますが、倉吉の宿泊地として選ばれたのが、倉吉の旧市街を眼下におさめ、遠く日本海の眺望も得られるここ打吹山麓。

それを記念して造園されたのが打吹公園。公園は1904年(明治37年)に開園、皇太子様はその3年後の1907年(明治40年)に『飛龍閣』に宿泊されました。

時代やその造園経緯からすると、“日本で最初のランドスケープデザイナー”長岡安平とか“日本の公園の父”本多静六とかその辺の人が関わってそうなものだけど、両名の名前は無し。公園の東入り口からすぐの池泉回遊式庭園風の“羽衣池”は公園開園時から残るもの。長岡安平が手がけた秋田の『千秋公園』に似てるな〜と思った。

羽衣池から坂を登った丘の上にあるのが『飛龍閣』。玄関の風格からその格式の高さが伝わる近代和風建築。外観見学は自由、内部は普段は市民のための集会施設として利用されています(観光でふらっと行っての見学はできない)。どんな意匠が残ってるんだろうな〜。

飛龍閣の御座所の周りには芝庭が広がります。シンプルな庭園の中に植栽されているコウヤマキ、この位置にはかつて大正天皇のお手植えのクロマツがありました。そのクロマツが2007年に枯れてしまい、大正天皇が倉吉の農学校にお手植えした高野槙から枝を挿し木して育てられたのが現在見られる高野槙。
あと飛龍閣の南側(山裾)にも池泉庭園の遺構っぽいものが残る。

『打吹公園』としてはかなり広大で、他にも動物とふれあえるコーナー、大江神社・鎮魂神社も。そこから更に打吹山の山頂を目指していくと打吹城の跡や国指定重要文化財の『長谷寺』も。トレッキングも楽しめる重伝建・倉吉市打吹玉川!

(2022年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR山陰本線 倉吉駅より4.5km(駅にレンタサイクルあり)
倉吉駅より路線バス「市役所・打吹公園入口」バス停下車5分/「新町」バス停下車 徒歩8分

〒682-0824 鳥取県倉吉市仲ノ町 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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