やっぱ夢窓疎石すごい…京都の世界遺産庭園で有名な禅僧・夢窓疎石作庭と伝わる愛知県指定文化財庭園は、疎石好みの世界観が味わえる名庭園…
内々神社庭園について
「内々神社」(うつつじんじゃ)は平安時代前期にまとめられた『延喜式神名帳』にも名の残る由緒ある神社。愛知県指定文化財(名勝)の庭園は京都の世界遺産『西芳寺』、『天龍寺』の庭園作者としても知られる鎌倉~室町時代の代表的な禅僧・夢窓疎石(夢窓国師)の作庭と伝わります。江戸時代後期に建立された社殿も愛知県指定有形文化財。
愛知県春日井市の北東部、岐阜県との県境「内津峠」の程近く、中山道の脇往還「下街道」(善光寺道)沿いに鎮座する内々神社。公共交通機関でのアクセスは所在する春日井市内(高蔵寺駅)からですが、最寄り駅で言うとJR多治見駅。夢窓疎石作庭の庭園の残る国宝寺院『永保寺』とも約8kmと関連性を感じさせつつ、「さすが夢窓疎石…!」と唸ってしまうのが庭園。
その歴史は古く、古代の景行天皇の41年に創建されたと伝わる内々神社。祭神には「尾張の祖」とされる建稲種命(たけいなだねのみこと)、日本武尊、宮簀姫命をまつりますが、「うつつ」の名は日本武尊の東国平定に副将軍として参加した建稲種命が駿河湾で水死し、その連絡を受けた日本武尊がこの場で「ああうつつ(現)かな…」と嘆いたことが由来と言われます。
桃山時代には豊臣秀吉が朝鮮出兵の戦勝祈願のために内々神社の木材を船の帆柱に利用するなど武将にも信仰され、東西の行き来の増えた江戸時代には下街道沿いの神社として繁栄。
愛知県指定文化財の権現造りの社殿は文化年間(1804年~1818年)の建築と伝わり、(ここでの写真ではわかりづらいですが、)軒下などに多くの精巧な彫刻が施されています。“名工”と呼ばれた信州・諏訪の大工、立川一族(立川富棟/富之/富方)による作。
その社殿の奥に愛知県指定名勝の廻遊式林泉型の庭園が広がります。室町時代を代表する禅僧・夢窓疎石の作庭と伝わりますが、重森三玲をはじめとする昭和~現代の庭園研究家により《隣接する『妙見寺』(室町時代初期創建)の庭園として江戸時代初期に作庭されたもの》と推測されています。
でも時代が室町でも江戸でも、この庭園が素晴らしいことには変わりない――。山の斜面を活かした築山と滝石組、そして手前に心字池・中島を配した池泉回遊式庭園。更にその奥には自然の岩盤があるのですが、もともとこの場にあった?自然石を多く配した力強い庭園。池の手前の立石も印象的、そして中の島にここまで石を詰め込む姿もなかなか無く、社殿側から見て左手には象徴的な巨石が。池の逆側から眺める社殿の姿も◎。
庭園を奥へと進むと「天狗岩」と呼ばれる岩盤があり(階段で登れる)、その雰囲気は『永保寺』の絶壁とよく似ている。そして平地にも巨石がゴロゴロと転がる…後に京都で名作を作っていく「夢窓疎石好み」な世界観がヒシヒシと感じられる場――。一度訪れてみて。
(2023年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR中央本線 高蔵寺駅より路線バス「内々神社」バス停下車 徒歩2分
JR多治見駅より約6km(レンタサイクルで行けなくもない)
〒480-0301 愛知県春日井市内津町24 MAP