上江門家(UEJO SOBA)庭園

Soba Kamijoke Garden, Yaese, Okinawa

琉球国王・英祖王の流れを汲む“多々名按司”の末裔のお屋敷を活用した古民家食堂が2024年オープン。八重瀬町指定文化財の建築から眺める琉球庭園も。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

上江門家住宅/UEJO SOBAについて

「上江門家住宅」(うえじょうけじゅうたく)は沖縄本島の南部に位置する八重瀬町を代表する旧家・豪農屋敷で、八重瀬町指定有形文化財。江戸時代中期からの歴史ある文化財屋敷を活用し、2024年6月『古民家食堂上江門-UEJO SOBA-』がオープン。主屋の縁側から眺められる琉球庭園があります。

沖縄本島の南側の海に面し、那覇市方面から『沖縄県平和祈念資料館』等への道中で通りかかる八重瀬町。そんな八重瀬町の指定文化財(建造物)第一号という格式あるお屋敷がこの上江門家住宅(※2025年現在指定解除中?)。

上江門家の歴史は日本の鎌倉時代まで遡ります。1200年代後半に琉球国王となった「英祖王」、その孫の具志頭按司の次男「多々名按司」が上江門家のルーツと言われます。

鎌倉時代末期、多々名按司は現「玻名城の郷ビーチ」の高台部に「多々名城」を築き居城としていました(その一帯には現在は「具志頭城址公園」も)。
時を経て日本の江戸時代中期の1712年〜1719年頃、琉球王府の政策により現在地へと転居。現在の「安里集落」の最も高台に位置しますが、この領主のお屋敷から低地部へ向けて碁盤目上に家屋が建設されてゆき整った集落が形成されました。

約2,000平方メートルの敷地は国指定重要文化財の琉球古民家『中村家住宅』と比べても広く上江門家の格式が感じられます。現在残る主屋は明治時代の建築ですが、敷地を囲む琉球石灰岩の石垣はこの地に屋敷を構えた当初から残るものとか。

そんなお屋敷も1945年には沖縄戦の舞台となりますが、全壊・消失は免れます。お屋敷の老朽化が進んだ2019年頃から「リノベーションプロジェクト」が進められ、2024年6月に古民家食堂として生まれ変わりました。リノベーションでも沖縄戦の際の弾痕が残る柱などは活かされ、お食事とともにその歴史を感じることもできます。

この上江門家の特徴は「通常の琉球古民家とは位置関係が東西逆」であることなのだそう。通常は主屋の西側に牛・馬・豚などの家畜小屋が配され、主屋の座敷〜お庭は東向きなのだそうですが(『津嘉山酒造所』等は確かにそう)、この上江門家は東側に家畜小屋の遺構が残り、生活空間としてのお庭は西側にある。

建築を取り囲むお庭も大きくリノベーション。その大部分は開放的な芝生広場ですが、主屋の西側の池庭は上門家の敷地のすぐ北にある古井戸「座嘉武井」を水源としている池泉鑑賞式庭園。

現在の姿は地元沖縄の「浦西造園」我如古満さんにより新たに作庭されたもの。ですが、「斜面を活かした石組のある池泉庭園」はリノベーションの前から存在していて(→こちら)、その地形や石組、主木の樹齢150年超のアコウの木など元のお庭の歴史を受け継いだ庭園…と言えます。そして新しい庭園と言ってもやはり本州の現代の“日本(和風)庭園”とは全く雰囲気が異なる、琉球ならではの作風が◎。手前は流木を手水鉢の筧(かけひ)にしているのがモダン!

あわせて新たに整えられた芝庭の中には松竹梅に桜と“本州の伝統的な庭園”を意識した植栽も。沖縄の新たな文化財を活用した食堂、ぜひ訪れてみて。

(2025年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

那覇バスターミナルより路線バス「大屯」「玻名城入口」バス停下車 徒歩20分/「第二富盛」バス停より徒歩25分
最寄りバス停は「安里(八重瀬町)」バス停 徒歩7分。(那覇から糸満バスターミナルを経由・乗り替える路線)
那覇空港より約14km

〒901-0514 沖縄県八重瀬町安里198 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
PICK UP - TOUR / EVENT
MEDIA / COLUMN
最新の庭園情報は約10万人がフォローする
【おにわさん】のSNSから。