日本庭園研究会会長・吉河功さんにより作庭された枯山水庭園と、江戸時代の作と推定されている池泉鑑賞式庭園。
東漸寺庭園について
【本堂からの庭園拝観は要予約】
「太陽山 東漸寺」(とうざんじ)は推古天皇の時代、飛鳥時代の612年に聖徳太子が薬師如来を本尊として東漸寺山山頂付近に創建したと甲斐國志に記されている古寺。重森三玲に師事した吉河功さんにより作庭された枯山水庭園と、本堂裏に江戸時代のものと推測されている池泉鑑賞式庭園が残ります。
鎌倉でお気に入りの『光明寺庭園』の作者がわからない、と書いていたら『作者は吉河功さんという方だよ』と教えていただいて。日本庭園研究会を主催する吉河功さん。略歴にこれまで作庭した庭園の一覧があり、この庭園はそれを見て知った場所。2019年夏に山梨旅行へ出かけた際に拝観させていただきました。前庭の“心経堂庭園”は自由に拝観可能ですが、本堂庭園は要事前予約。
この東漸寺のある若神子の町並みは甲州街道の脇街道“佐久往還”の宿場町であり、900年の歴史をほこるそう。現在でも長屋門を構える商家などレトロな町並みが見られます(こういう知らなかった町並みに出会うとワクワクする!)。なお最寄駅はJR日野春駅だけど、路線バス利用には韮崎駅が便利。
拝観の際にいただいた甲斐國志の続きを読むと、弘安二年(鎌倉時代1279年頃)に奥山三郎繁正の弟・四郎が出家し空外天意禅師?として中興。寺伝には甲斐源氏の居館に伽藍が建立されたと伝わるそう。街の歴史を考えても若神子の町と共にこの寺院も歴史を重ねてきたみたい。境内に群生する“東漸寺のシラカシ”は北杜市指定天然記念物、1659年の作となる東漸寺の梵鐘は北杜市指定文化財。その他武田信玄から奉納されたという寺宝も。
本堂前の石庭は山梨の山々を借景としながら12の石が配された枯山水庭園で、心経堂とともに1988年(昭和の最後)に作庭されたもの。植栽が当初から若干変わっているそうで、たしか庭園正面のマツと築山上のモミジが実生の木から育ったものだそう。「本当は取り除いた方が良かったんだろうけど、育っていく姿を見ていると愛着が湧いてしまって」という言葉を聞いて、そういった庭園の形もあるよなぁなんて思った。
そして池泉鑑賞式庭園もあるということは全く知らず、「実は裏にも心字池の庭園があって」というのでご紹介いただきました。調査してもらった時には「江戸時代に造られたものでは」という話だったそうで、小さな石を多数使って滝石組などが表現されている雰囲気、『東光寺庭園』とかと近い雰囲気を感じる。市指定の名勝とかになっているわけでもないのですが――まだそうした古庭園が隠れて残っているのか…!と思わせられた庭園。
(2019年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)