大蓮寺庭園Dairenji Temple Garden, Urayasu, Chiba

千葉・浦安の中心市街地に戦国時代から残る寺院に、重森三玲に師事した現代の作庭家・吉河功が手掛けた池泉庭園&枯山水庭園。

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大蓮寺庭園“薬師如来瑠璃光浄土之庭”“二十五菩薩来迎之庭”“二河白道之庭”について

「光縁山 勢至院 大蓮寺」(だいれんじ)は東京メトロ東西線・浦安駅の程近くにある浄土宗の寺院。行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所33番札所。重森三玲に師事した現代の作庭家・吉河功さんの作庭による複数の庭園が見られます。池泉庭園“薬師如来瑠璃光浄土之庭”と本堂前庭“二十五菩薩来迎之庭”は常時公開、枯山水の中庭“二河白道之庭”は要事前連絡。書院庭園“仙樹庭”は通常非公開。

2022年5月に初めて拝観しました。浦安と言えば舞浜、東京ディズニーランド!ですが、浦安の中心市街地/旧市街は東西線の浦安駅のほう。東西線で何度も通り過ぎていたけど降りたことがなかった…。

その歴史は古く室町時代後期、戦国時代真っ只中の1544年(天文13年)、小田原から行脚してきた覚誉存栄上人により創建。開山堂に安置されている勢至菩薩像は行基による作と伝わり、当時はまだ小さな漁村だった浦安の町外れの小堂に祀られていたその像に見惚れた覚誉存栄が小田原の自分のお寺と同名の寺院を開きました。

江戸時代には江戸・東京の大寺院『増上寺』の第39世住職・法主となる学誉冏鑑上人(大僧正)を輩出。寺院としての規模が大きくなったのはその頃で、鐘楼の脇にある黒門(裏門)は江戸時代中期に福岡藩主・黒田氏の江戸屋敷より移築されたもの――という所からも当時影響力のあった大名との繋がりが伺えます。鐘楼やその先の“久助稲荷”も学誉冏鑑が増上寺法主だった頃に整えられたもの(鐘楼はその後明治時代に再建)。

また大イチョウの木が浦安市の保存樹木に指定、「大塚亮平顕彰碑」が浦安市指定有形文化財となっています。大塚亮平は宮内庁御用掛などの公職を歴任したほか、近代の浦安の基幹産業となった海苔養殖事業の計画・設置に尽力した人物。俳人として“秋江菴釣月”とも称しました。その他、「宇田川六兵衛」の墓所の説明看板も。

そして日本庭園研究会主宰・吉河功さん作庭による庭園はいずれも平成年代に作庭された現代の日本庭園。

■池泉庭園『薬師如来瑠璃光浄土之庭』(1・5〜7枚目)
作庭者のウェブサイトでは“十二神将之庭”の名も。鐘楼の脇にある鯉の泳ぐ池泉庭園は、経典にある東方世界の浄土「瑠璃光浄土」を表現し1999年に作庭されたもの。

水の流れ落ちる二段の滝石組の中心には薬師三尊(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)が表現され、池の護岸の立石は十二神将を表しているそう。その水の流れ(薬師水)によって病気を平癒させる意味が込められています。

■本堂前庭『二十五菩薩来迎之庭』(10〜14枚目)
看板には“阿弥陀如来諸菩薩来迎之庭”とも。1991年、大蓮寺の開創450年の記念法要に際して作庭された本堂の前の枯池/枯山水庭園。

西方極楽浄土から我々の元へ来迎いただける阿弥陀如来&二十五菩薩のお慈悲が表現されており、建物に向かって正面に見て左手にある枯滝石組が三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)を、その他の立石が二十五菩薩表しています。

■枯山水庭園『二河白道之庭』(15枚目)
4つある庭園の中で最も古いのがこの庭園。堂内からの鑑賞になるので事前に電話でご都合をお聞きする必要があります。
浄土宗の教え“二河白道図”を表現した庭園で、中央の赤い敷石/青白い敷石が現世と浄土世界の間にあるとされる“激流の河川”。大きめの石が揃う向こうが浄土世界か。

…仏教の言葉がたくさん出てきたけど、まあそれを覚えなくても、鯉の泳ぐ庭園はきっと癒されるし「浦安の街中にこんな場所があったんだ!」と思える。
非公開の書院庭園『仙樹庭』は2001年に客殿を再築したのに合わせ作庭されたもの。檀信徒の方のための庭園。いつか見てみたい!

(2022年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

東京メトロ東西線 浦安駅より徒歩6分

〒279-0041 千葉県浦安市堀江4丁目14-2 MAP