富山藩主・前田家時代の大名庭園“本丸庭園”“千歳御殿”にインスパイアされた、2015年完成の池泉回遊式庭園。
富山城址公園 日本庭園について
「富山城址公園」(とやまじょうしこうえん)は富山藩・前田家の城郭“富山城”の跡に開かれた都市公園。昭和年代に復元された模擬天守は『富山市郷土博物館』として開かれており国登録有形文化財。
その他にも茶道の専門美術館『佐藤記念美術館』や富山市指定文化財の千歳御門、そして2015年にはかつて存在した“本丸庭園”や“千歳御殿”の大名庭園を想起させる池泉回遊式庭園が作庭されました。
富山に初めて訪れた2011年頃には存在しなかった日本庭園。2017年に再び訪れたら大きな庭園ができててビックリした!2020年9月に3年ぶりに訪問、そして2021年6月にも訪れたのでその時の写真を更新。
室町時代前期に築城とされる富山城。戦国時代には織田信長の家臣だった佐々成政が入城、江戸時代に入り加賀藩三代目藩主・前田利常が次男・前田利次を富山城に入城させ、以来明治維新まで13代前田家が藩主をつとめました。
「富山は庭園文化が希薄」…というのは今回(2020年9月)に3年ぶりに富山の庭園を巡って、その中である庭園を解説いただいた方が口に出した言葉。実際に石川県(加賀藩)と比べると日本庭園の数が少ないし、富山市内も金沢市内と比べると庭園があまりないのですが(段々「調べればあるじゃん」とはなってきてるけど)、でも!やはりそこは前田家。
江戸時代初期、初代藩主・前田利次が本丸御殿を造営した際にはあわせて池泉回遊式庭園が造営されたそうだし(江戸中期の本丸御殿の火災後に消失)、その後江戸時代後期に10代目藩主・前田利保は富山城に隣接した土地に“千歳御殿”を造営、そこにも築山や茶室、薬草園や桜並木のある大名庭園が造営されたそう(ちなみに千歳御殿の“御涼所”が復元模型だけどめちゃくちゃかっこいいんだよなあ。詳しくは関連リンクからPDFを)。
なお現在の公園南東部にある“千歳御門”はその千歳御殿の正門で、石垣を除くと江戸時代からの唯一の遺構。明治時代に別の場所に移されていたことから、富山市内を焼き尽くした富山大空襲を免れました。
それらも明治時代の廃城後は跡形もなくなっているので、現在見られる庭園はあくまで再現ではなく“そうした背景を持つ場に、新たに作庭されたもの”になります。設計は都市計画研究所。『南湖公園 日本庭園』や前橋の『臨江閣庭園』、『日光田母沢御用邸記念公園』なども手掛けられています。
また日本庭園の作庭とあわせ、『佐藤記念美術館』に隣接する位置に明治時代の茶室“碌々亭”を移築(現在の名前は“本丸亭”)。
庭園の畔にある『佐藤記念美術館』は富山出身の実業家で茶人・佐藤助庵(佐藤助九郎)が開いた美術館で、碌々亭を寄贈したのもこの方。
美術館内にも“助庵”“柳汀庵”と2つの茶室・書院があり、“助庵”は近代の三大茶人・松永耳庵の命名、“柳汀庵”はかつて加賀藩家老・横山家にあり(=『辻家庭園』)、茶道宗和流の祖であり京都の著名庭園の作庭も手掛ける武将・金森宗和指導によって造られたものとされます。
テラスの露地庭の作庭は“金沢の丸岡氏”とある。これだけだと“誰?”という感じだけど、現在も“丸岡樹仙堂”という造園会社があり、その三代目・丸岡与三次は北大路魯山人縁深く東京・赤坂に開いた料亭の作庭を手掛けたとか。この方についても今後調べていきたい…。
(2017年5月、2020年9月、2021年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR北陸新幹線 富山駅より徒歩10分強
富山ライトレール 丸の内駅より徒歩1分
富山駅より路線バス「国際会議場前」バス停下車 徒歩3分
〒930-0081 富山県富山市本丸1 MAP