大名・金森家の屋敷を引継いだ、“天領”飛騨高山の江戸時代の中心。代官の居間から眺める広い庭園も。国指定史跡。
高山陣屋について
「高山陣屋」(たかやまじんや)は国の重要伝統的建造物群保存地区・飛騨高山の町並みにおける江戸時代の行政の中心。江戸時代からの建築も一部現存し(現代に復元されたエリアも)、また江戸時代中期に作庭された庭園もあります。国指定史跡。
2021年6月に約7年ぶりに飛騨高山へ。3度目の高山だったけど陣屋を見るのは多分初めて(主要観光施設の一つだけどこれまではスルーしてた…)。
戦国大名・金森長近と金森可重により飛騨統一が果たされ、以来金森家が藩主を務めた飛騨高山藩。
しかし1692年(元禄5年)に金森家は出羽国・上山藩に国替え。それ以降~明治時代に至るまでの250年以上は幕府の直轄領(天領)として治められることになりました。
そんな江戸幕府から派遣された役人/代官/郡代が政務や生活を行ったのが高山陣屋で、全国に60以上あった同様の役所の中で唯一現存する事例。
前藩主・金森家の屋敷が江戸時代の中頃(享保年間~元文年間)に改築し再活用され、その後江戸時代後期~明治時代に再建や新築を経ながらも、昭和の戦後まで同地方の庁舎や岐阜県の事務所として用いられました。
その県事務所の移転をきっかけに、江戸時代後期の絵図を元に復元整備。かかった期間は約25年、予算は20億!なので現在見られる建物の大部分は昭和後期~平成年代の再建だけど、表門が1832年(天保3年)、大広間も含む御役所は1816年(文化13年)の建立と古い姿を現代に伝えます。(なお“御蔵”が最も古く、江戸時代初期に建てられた高山城から移築されたもの)
陣屋の中心部でもある書院造りの大広間と代官が暮らした“嵐山の間”から眺められる庭園があります。パンフレットに“天明年間(=1780年代)に作り替えられた”とあるので、それ以前は金森好みの庭園があったのかも。
嵐山の間には茶室もあり、嵐山の間・広間のそれぞれから飛び石が伸びている(そして奥には池泉庭園がある)ので当時は代官がプライベートの時間帯には庭を歩いて行き来していたんだろう…と思うけど、現在はそれぞれの座敷から眺めるのみ。池も近くで見てみたい~!
ところで“嵐山の間”は2階建て。2階は公開されていないけどどんな感じなんだろうな~…京都御苑内にある公家・九条家の屋敷の遺構『拾翠亭』に似てるような気がする。
広大な陣屋の中には他にもたくさんの部屋があり、色んな職人の意匠を鑑賞したり当時を学べる資料が展示されていたりします。高山の街歩きの途中、歴史的な庭園を眺めながら休憩する場所としても◎。
(2021年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)