旧井上房一郎邸(高崎市美術館)庭園

Former Inoue Fusaichiro Residence Garden, Takasaki, Gunma

日本のモダニズム建築を牽引した巨匠:アントニン・レーモンドの自邸“笄町の家”を本人許可の下、写した近代和風邸宅と庭園。

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旧井上房一郎邸(高崎美術館)について

「旧井上房一郎邸」(きゅういのうえふさいちろうてい)は日本の近代建築/モダニズム建築に影響を与えたチェコ人建築家:アントニン・レーモンドの東京・麻布の自邸“笄町の家”をレーモンドの快諾の上で写した近代和風邸宅。その庭園の一角に現在『高崎市美術館』が建ち、美術館の開館日に庭園・邸宅を見学することができます。

2021年10月に初めて訪れました!約2年ぶり、コロナ禍以降で初めての北関東でここも行かなければ…と思っていた場所。

『帝国ホテル』の設計をフランク・ロイド・ライトと共に手掛けたのをはじめ、戦前〜戦後にかけて日本国内に当時の最先端の建築を残し、その下では前川國男吉村順三など後の“巨匠”を育てたアントニン・レーモンド。
この邸宅はレーモンド本人が設計・施工に携わったわけではないけれど、本人が手掛けた“笄町の自邸”を実測・図面も提供された上で写したもの。

この邸宅の施主・井上房一郎は高崎のシンボル“高崎白衣大観音”を建立した井上工業・井上保三郎を父に持ち、自らも実業家として活躍された人物。
それを並行して文化・芸術に傾倒し、学生時代から歌人・北原白秋や画家・山本鼎、後年には画家・有島生馬らと親交を深め、自ら主導で松下幸之助武者小路実篤、作曲家・山本直忠らを高崎に招聘されました。

様々な活動から関わりをもった一人がレーモンドであり、『上豊岡の茶屋本陣』で少しふれた“建築家:ブルーノ・タウトの高崎滞在”を実現した人物でもある。
この“レーモンド・スタイル”の写しは、戦後に焼失してしまった井上の自邸を1952年(昭和27年)に再建するにあたって実現したもの。レーモンド没後にオリジナルの“笄町の家”は消失しているので、井上邸はその面影を体感できる貴重な建築になっています。2010年には高崎市景観重要建造物の第1号に指定。

個人的に目がしたことがあった所で言えば、横浜の『エリスマン邸』や新潟・新発田の『新発田カトリック教会』の洋風建築や、この邸宅の約10年後に同じ高崎市にレーモンドの設計で建てられた『群馬音楽センター』のようなゴリゴリの大型のモダニズム建築からは想像がつかない、木造平屋建ての旧井上邸。

でも自分にとって琴線にふれるのはむしろこっち…居間は障子など日本建築の要素が取り入れられ、日本の茅葺農家の梁のように見せるトラス。その複数のトラスの直線が数寄屋風・茶室とかの屋根のオマージュのようにも見えてめちゃくちゃ素敵…。庭園とのシームレスな関係性も◎。室内には房一郎と親交のあった日本人初のノーベル賞学者・湯川秀樹さんの書も。

“笄町の自邸”に存在した事務所棟が無く、その代わり別棟として仏間・物置・茶室や和室があったりと100%のコピーではなくアレンジは加わっている。

そして庭園。主屋に近い芝生や背後の竹・笹、手前の低木の刈込の雰囲気は庭園も実はパンフレットにある“笄町の自邸”の古写真や図面とよく似ている(建築ほど一緒ではないし、美術館開館時に改変されているかもしれないけど)。
主屋から見て左手奥の和風庭園は高崎の自然の風景を写した庭園で、最奥の最も自然が感じられる空間に利休好みの二畳の狭いお茶室が配された、和洋折衷の近代風な日本庭園が楽しめます。

『高崎市美術館』自体もJR高崎駅から徒歩3分とめちゃめちゃ近いので、乗換のついでに途中下車するついでぐらいに気軽に寄れる美術館。美術館はだいぶ前に寄ったことあったのに、その時は旧井上邸には目もくれなかったんですよねぇ…。ぜひアート鑑賞とあわせて訪れてみて!

(2021年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR高崎線・北陸新幹線 高崎駅より徒歩3分

〒370-0849 群馬県高崎市八島町110-27 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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