上豊岡の茶屋本陣

Kamitoyooka-no-Chaya-Honjin Garden, Takasaki, Gunma

江戸時代、中山道六十九次の高崎宿・板鼻宿の間にもうけられた休憩所“茶屋本陣”の書院建築と庭園。群馬県指定史跡。

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上豊岡の茶屋本陣について

「上豊岡の茶屋本陣」(かみとよおかのちゃやほんじん)は中山道六十九次の高崎宿・板鼻宿の間にもうけられた休憩所。江戸時代後期の書院建築と庭園が群馬県指定史跡となっています。

2021年10月に2年ぶり、コロナ以降では初めて北関東の地を訪れた足で初訪問。先に紹介した高崎市箕郷町の『旧下田邸書院及び庭園』から真南へ7.5km。高崎駅から10km強の道をチャリでえんやこらと行ったのはこの“上豊岡の茶屋本陣”にも立ち寄りたかったから(この2つを結ぶバス路線は無し)。

旧下田邸の中で《群馬県にある“国指定文化財”の庭園としては甘楽町の『楽山園』がありますが、“群馬県指定の文化財”として唯一の庭園がこちら。》と書いたけれど、“上豊岡の茶屋本陣”の群馬県指定史跡としての構成要素には「オザシキノニワ」も含まれる(建物内のハシリニワみたいな言葉ではなく普通に庭のこと)。

なので実質こちらも“群馬県指定文化財庭園”。――なんだけど、旧下田邸はまだ観光協会のウェブサイトにスポット登録されてるけどこちらはされていない、地味な施設…(受付の方も平日に若いお客さんが来たことに驚かれるぐらい…)。しかしながらこじんまりながら整った良い庭園と素敵な書院建築が見られるのです!

江戸時代に“五街道”の一つとして賑わった中山道。この上豊岡の茶屋本陣も旧中山道沿いの重厚な門・土蔵がその面影を残します。
大名の参勤交代の際などに上級武士の喫茶や昼食などの休息の場として用いられた茶屋本陣。江戸時代中期には権中納言・五条為成が、幕末には皇女和宮御下向に随行した公卿が立ち寄った記録などが残るそう。

この茶屋本陣を営んでいた飯野家は当地の名主をつとめる傍ら酒造業を営み、江戸時代中期には高崎藩の御用達や奉行もつとめていた名家。
時は流れ平成年代に高崎市が約1,760点の飯野家に残る古文書/史料/美術品とこの茶屋本陣を取得・公有化し、一般公開がはじまりました。

主屋は江戸時代中期:1700年代中盤に建てられたもので(非公開)、公開されている“オザシキ”が茶屋本陣として江戸時代後期に増築されたもの。

宿泊所ではなく休息所なので8畳2室と決して広くはないけれど、欄間の彫刻や花頭窓、竹林の描かれた襖絵や広く取られて庭園と一体感を感じさせてくれる廊下…(※入側。実際の意図は家来が沢山休むためなんだと思うけど)と、こじんまりする中に格式の高さが感じられる要素が詰まってる。

その書院から180度眺められる庭園も広くはないながら、苔むした中にさまざまな植栽・刈込が見られる気持ちの良い庭園。旧下田邸もそうだったけど、意外とこの辺は苔の庭って感じなんだなぁ。お座敷からぼんやり眺める時間を過ごさせていただいた。

ちなみに碓氷川を挟んで対岸にある『少林山 達磨寺』には『桂離宮』を世界に紹介した建築家:ブルーノ・タウトが住居とした『洗心亭』が残ります。今回は立ち寄れなかったけど次回群馬行く時に訪れたい。

(2021年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR信越本線 群馬八幡駅より徒歩15分強
JR高崎線・北陸新幹線 高崎駅より路線バス「上豊岡町」バス停下車すぐ
JR高崎駅より約5km(駅前にレンタサイクルあり)

〒370-0871 群馬県高崎市上豊岡町133 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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