鷹見泉石記念館

Takami Senseki Memorial Museum Garden, Koga, Ibaraki

古河城主/大老・土井利勝が建立した武家屋敷と、古河城二之丸御殿から移された灯籠のある庭園。画家・奥原晴湖の旧宅も。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

鷹見泉石記念館・繍水草堂について

「鷹見泉石記念館」(たかみせんせききねんかん)は古河藩家老で蘭学者だった鷹見泉石の過ごした江戸時代の武家屋敷。道を挟んでお向かいにある『古河歴史博物館』の別館で、近代の女流画家・奥原晴湖の旧宅(画室)『繍水草堂』を併設します。

2021年10月に2年ぶり、コロナ以降では初めて北関東の地を訪れました。栃木でも埼玉でもなく茨城県の古河を訪れるのは約6年ぶり。その時は『古河総合公園』にあるSANAAの建築が目当てで、古河で庭園を見るという頭じゃなかったんだけど…「城下町だから古い屋敷や庭園があったのかもな」と後から思って、今回の再訪に至りました。

室町幕府を開いた足利家や北関東に影響力をほこった古河公方(足利家)の拠点として早くから城館が築かれた古河の城下町。
江戸時代になると日光御成道(日光街道)の宿場町として交通の要衝となり、徳川家に近い大名・松平家、小笠原家、永井家(老中・永井尚政など)、土肥家(大老・土井利勝など)、堀田家(老中・堀田正俊など)、本多家(本多忠勝の宗家)が歴代の城主をつとめました。

■鷹見泉石記念館
現在の「鷹見泉石記念館」の建築は1633年(寛永10年)土井利勝が古河城の御三階櫓を造営した際に余った材で建立されたと伝わり、鷹見家のみならず歴代の家老がこの屋敷に入りました。

江戸時代末期、土井家11代目・土井利位に仕えた鷹見泉石がこの屋敷に入って以降、(一時空き家にしたもの)近代~現代まで鷹見家の所有で残され、古河市により解体・修復された後に1990年(平成2年)に記念館として開館。

建造物は文化財になっていないけど、庭園に残された“楓樹”が古河市天然記念物、そして鷹見家から寄贈され、古河歴史博物館で保存・公開されている1万点以上の『鷹見泉石関係資料』のうち約3,000点が国指定重要文化財。

家老屋敷だった時代から現存するのは半分程度(敷地は元の1/4程度)だそうで、庭園もおそらく縮小されている(屋敷南側の庭の飛び石が隣のお宅の敷地に続いていて、もしかしたらその先は現在も鷹見家なのかも)のだけど、屋敷西部の手水鉢や灯篭の残る庭は特に古い面影を残します。『古河城二之丸御殿』にあったと伝わる灯籠「濡鷺」も。

奥原晴湖画室“繍水草堂”
鷹見泉石記念館に隣接するのが、古河出身で近代に活躍した女流南画家・奥原晴湖が埼玉県熊谷市に建立した画室“繍水草堂”。

氏の没後に古河市内の生家に移築、そして2008年(平成20年)に古河市に寄贈され再移築&熊谷時代の邸宅を図面を元に復元されたもの。こちらに庭園にも古河城の礎石が再利用されているそう。

道を挟んで向かいの古河歴史博物館の外構(資料によっては“庭園”とされてる)も石の彫刻が和泉正敏さんみたいなテイストだったり、現代日本庭園みがあってかっこいい。

博物館及び周囲の景観は建築家・吉田桂二の設計によるもので、1992年の日本建築学会賞(作品賞)、1996年の公共建築賞(建設大臣表彰・文化施設部門)を受賞。SANAA目当ての建築ファンにあわせてチェックして欲しい!

(2021年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR宇都宮線 古河駅より徒歩15分弱

〒306-0033 茨城県古河市中央町3丁目11-2 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
PICK UP - TOUR / EVENT
MEDIA / COLUMN
最新の庭園情報は約10万人がフォローする
【おにわさん】のSNSから。