2023年に有料公開開始!日本全国の“鈴木さん”発祥の地は世界遺産“熊野古道”との所縁が深い神社の神官屋敷。室町時代に作庭された日本庭園も。国指定史跡。
鈴木屋敷(旧鈴木邸庭園)について
「鈴木屋敷」(すずきやしき)は日本で二番目に多い姓“鈴木”さん発祥の地。世界遺産『熊野古道』で知られる熊野神社・熊野信仰を日本各地に広めた藤白鈴木氏がかつて暮らしたお屋敷で、国指定史跡『熊野参詣道紀伊路 藤白王子跡』や日本遺産『絶景の宝庫 和歌の浦』の構成文化財となっています。所有は隣接する『藤白神社』(藤白神社の境内地)。
日本全国に200万人、日本を代表する苗字の一つ「鈴木」…その中でも世界的な自動車メーカー「スズキ」、総合商社「鈴与」など静岡県は特に多い印象があり、実際に人口当たり鈴木さんが占める割合は静岡県が47都道府県で1位!なのだけれど、実はその発祥の地は和歌山県海南市にあります。
数年前から建物の老朽化で閉園/修復されていましたが、2023年に修復が完了し4月より有料での一般公開が始まりました!
元は世界遺産『熊野本宮』の神官をルーツとする“鈴木”姓。その本流「藤白鈴木氏」は平安時代中期〜後期に熊野から現・海南市へ移住し「藤白神社」の神職を122代/約800年に渡って務めました。
熊野古道/熊野信仰には京都の『城南宮』を出発点として(西国三十三所観音巡礼や四国八十八ケ所巡礼のような)「九十九王子」という神社のグループがあり、その中でもこの藤白神社は別格扱いされた「五体王子」の五つのうち一つでした。
そんな風に紀州/和歌山の神官だった鈴木氏。熊野神社が日本全国へ広がるとともに(現在では約3,300)鈴木さんも各地へと広がり、その中から源義経に仕えた鈴木三郎重家・亀井六郎重清兄弟や、“雑賀衆”として戦国時代に活躍した雑賀党鈴木氏などが登場。
紀州藩主や文人墨客、古くは家来との縁から源義経も訪れたという鈴木屋敷。現在は約2,000平方メートルの敷地内に、室町時代に作庭されたと伝わる日本庭園“曲水泉”と、江戸時代に『紀伊国名所図会』に描かれた和風建築から構成。
なお元のお屋敷は昭和年代中頃にご当主が亡くなられた後は放置され老朽化。大部分は解体されましたが、一部の書院棟(座敷棟)と古材を活かしつつ玄関棟を復元したのが現在の姿。なお今回の修復にあたって日本全国の「鈴木」さんから寄附も募られ、ご協力いただいた鈴木さん方(企業/個人)のネームプレートも玄関口に掲げられています。
お座敷から正面に眺められる庭園“曲水泉”。以前は『旧鈴木邸庭園』として単体で和歌山県指定文化財・史跡でした(現在は一帯が指定を受けている国指定史跡に統合)。中央に亀島を浮かべた池泉回遊式庭園、現在はまだ修復が終わったばかりということで(芝生の養生のため)お座敷から眺めるのみですが、左手方向の山の風景や右手方向は高台からの海南市街の眺めも◎。鈴木さん以外の庭園ファンもぜひ訪れてみて。
(2023年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)