北前船で財を成した久保彦兵衛家の豪邸の一部と、日本海に浮かぶ北前船を表現した石庭“船石の庭”“波濤の庭”。
蘇梁館(旧久保彦兵衛邸)について
「蘇梁館」(そりょうかん)は江戸時代末期~明治時代にかけて活躍した加賀の北前船主・久保彦兵衛の邸宅。元は現在国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている加賀市橋立の方(海の近く)にありましたが、2000年(平成12年)から3年の歳月をかけて大聖寺駅から程近くの現在地に移築・復元されました。
2020年9月、1年半ぶりに加賀市の中心部・大聖寺へ。前回紹介した『江沼神社』以外にも庭園があるなあと思って、その一つがこちら。
久保彦兵衛家は北前船主の中でも最大の勢力をほこっていたそうで、その邸宅には大聖寺藩主もたびたび訪れたとか。移築されたこの主屋は1841年(天保11年)に建てられたもの。
その後、北前船の衰えに伴い手放されることになり昭和初めに金沢市と能美市寺井町へと移築。金沢市に移築されたのが、『足立美術館』がブレイクするきっかけになった海外メディア日本庭園ランキングでも毎年上位に登場する『武家屋敷跡 野村家』。野村家に移築されたのは藩主を迎えるための上段の間のある“御殿の間”、能美市⇒現在地へと移築されたのがこの主屋。
この邸宅は大聖寺の藩有林から松の木を拝領し、館を支える梁として使用したという由緒があり、その“梁”をよみがえらせたことから“蘇梁館”と名付けられました。なおその能美市時代に所有されていたのは“駒井家”(…だったはず)。そのため座敷には「駒」というデザインがあしらわれた欄間も。かっこいい。
その館の三方にはそれぞれ枯山水庭園があります。この邸宅が移築された2000年代前半に作庭されたもので、手掛けられたのは地元・大聖寺の石村造園。建物奥の座敷から眺めるのは“奥庭”。そして主庭は“船石の庭”“波濤の庭”という2つの石庭から構成されています。
“船石の庭”は日本海を公開する5船の北前船を石組で表現したもの。そして“波濤の庭”は橋立の加佐ノ岬と打ち寄せる荒波を表現したもの。
ちなみに「コスプレもできる」「コスプレ歓迎」というのがこの施設の推しらしいです。この蘇梁館を玄関口に、赤瓦の街並みが印象的な「山ノ下寺院群」へと続く。この寺院群、例年GWに寺宝や庭園の特別公開が行われていたりするので、いつかその時期に行きたい。
しかも今年度は『鴻玉荘』という近代の料亭建築が公開に加わる予定だったそうで――「普段見学することは可能なんですか?」と聞いたら「マムシが出るから非公開にしてます。」とのこと。それは危ない。こうやって訪れたい場所が増える!
(2020年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)