尊鉢厄神 釈迦院庭園

Sonpachi-Yakujin Shakain Temple Garden, Ikeda, Osaka

人気カフェ“グリグリ”&その運営・荒木造園設計から程近い、昭和関西を代表する造園家・荒木芳邦作庭の庭園。奈良時代に行基が創建した聖武天皇の勅願寺。

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尊鉢厄神 釈迦院庭園について

「尊鉢厄神」(そんぱちやくじん)の通称で親しまれている「鉢多羅山 若王寺 釈迦院」(しゃかいん)は大阪府池田市にある高野山真言宗の寺院。奈良時代に聖武天皇の勅願によって行基により創建された古刹で、国重要美術品の宝篋印塔などを所蔵。また、境内には昭和の関西を代表する作庭家・荒木芳邦(荒木造園設計)が手掛けた庭園があります。摂津国八十八ケ所霊場57番。

お寺の歴史も古いのですが、ここでは1970年の大阪万博の日本庭園にも関わった造園家・荒木芳邦さんの庭園を目的に訪れました。なおこの尊鉢厄神から荒木造園設計のオフィス&『GULI GULI』までは徒歩10分弱の近さ。

お寺の歴史について。創建は古く奈良時代の724年(神亀元年)創建。
この地が選ばれたことの謂れとして。更に古代の西暦200年代、神功皇后の時代に朝鮮半島に出兵し戦勝、新羅の国王から3つの宝物を献上されます(仏舎利、袈裟、鉄鉢)。しかし日本(大和国?)ではまだ仏教が広まっていなかったため扱いに困り、猪名の里(池田)に埋蔵することに。

その500年後、観音菩薩のお告げによって行基がこの宝物を発掘。それを聖武天皇に報告した事からこの地に勅願寺『若王寺』が建立されました。
以来中世までは一大伽藍をほこったそうですが、戦国時代に織田信長に攻められ全焼、宝物も鉄鉢を残して焼き尽くされてしまいます。尚「尊鉢」やこの地域の「鉢塚」という地名はその宝物の鉄鉢から来るもの。

最盛期には数多くあった若王寺の子院のうちの一つ「釈迦院」の名を継ぐ形で、1589年(天正17年)に傳誉上人により復興。桃山時代には豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して北政所(ねね様)が若王寺境内の八幡宮に戦勝祈願のために縁起一貫を奉納。八幡宮の秘仏が厄神明王であることから“尊鉢厄神”として信仰されることになりました。

江戸時代後期の1840年(天保11年)に再度火災に遭い、現在の伽藍は更にその後の幕末に再建されたもの。織田信長によってそれ以前の宝物は(ほぼ)全て焼けてしまったものの、傳誉の中興以降持ち込まれた宝筐印塔(鎌倉時代の作)が国の重要美術品に選定されているほか、池田市指定重要文化財の梵鐘(江戸時代作)、平安期のご本尊などの寺宝を所蔵しています。

幕末の再建――なのだけど、その立地(現代の住宅街)の背景も含め、境内が新しく感じる、そのキーマンが冒頭に挙げた荒木芳邦/荒木造園設計。“庭園”としては、本堂へ向かう階段の麓に池泉鑑賞式庭園があります。そのお庭も手前の苔も美しく、多くの鯉の泳ぐ清流にモミジが降りかかり、その先の滝口から水がトクトクと流れて――“本堂前庭”なんだけど本来的にはお堂の奥の山裾にありそうな空間。

でもカッコいいのはこのお庭だけじゃない。山門の下に埋められた3つの巨石(丹波石?)!この非整形な3つの巨石から、整形的な石畳へと誘われるデザインがめちゃくちゃカッコいい。(参道の左手側も枯山水っぽいデザインになっています)
そして先の池泉庭園の脇の石積みも「何っぽい」とも言えない、モダンな乱積み。この釈迦院、山門前の石積みもちょっとした城郭みたいでカッコいいんですが、そことも違う積み方になっていてそれも素敵。

荒木芳邦さんの素敵なお庭は関西に色々ありますが、人気カフェ『GULI GULI』で荒木造園設計さんが気になった方にそのまま足を伸ばして欲しいお寺!

(2024年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

阪急宝塚線 石橋阪大前駅より徒歩20分弱
石橋阪大前駅・池田駅より路線バス「尊鉢」「水月公園前」バス停下車 徒歩5分

〒563-0024 大阪府池田市鉢塚3丁目4-6 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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