相国寺 慈雲院庭園

Shokokuji Jiunin Temple Garden, Kyoto

2024年“京の冬の旅”で特別公開。“五摂家”公家・二条家の屋敷を移築した本堂から眺める2つの枯山水庭園。伊藤若冲の恩師・大典禅師ゆかりの寺院は絵画/美術品も見所!

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相国寺 慈雲院庭園について

【通常非公開/2024年「京の冬の旅」で特別公開】
「慈雲院」(じうんいん)は京都を代表する寺院の一つ『相国寺』の塔頭寺院で、2024年1月〜3月中旬まで『京の冬の旅』で特別公開。寺宝のほか公家・二条家邸から移築された本堂(方丈)の南北にある庭園が公開されています。(庭園のみ撮影可)

『金閣寺(鹿苑寺)』『銀閣寺(慈照寺)』の本寺としても有名な相国寺。室町幕府3代将軍・足利義満により“花の御所”室町第に近接する形で建立され、幕府が定めた“”の第二位という格の高さをほこりました。

そんな相国寺の本坊からは少し離れた場所(徒歩6〜7分)にあるのが慈照院、慈雲院という2つの塔頭寺院。最寄り駅は今出川駅より鞍馬口駅の方が近い。

慈雲院の歴史について。室町時代の長禄年間(1457〜59年)、応仁の乱前夜といえる時代に相国寺第42世・瑞渓周鳳和尚(興宗明教禅師)により創建。
時は流れ江戸時代、慈雲院(当時は慈雲庵)の9代目住持で相国寺第113世・梅荘顕常和尚(大典禅師)は江戸幕府からの信任で「朝鮮修文職」として多くの外交文書に携わったほか、伊藤若冲の恩師/支援者として活動を支えたそう。

江戸時代までは現在の下京区、丹波口駅の近くにあったそうですが、明治時代に入り1896年(明治29年)に現在地に移転、寺号を“富春軒”としました。昭和時代初期に寺名も現在の『慈雲院』に改称、その間の大正時代には当時の琢堂周圭和尚が隣接する「和敬学園」を創立し社会活動に注力されました。

本堂(方丈)は、摂政・関白などを輩出し“五摂家”と呼ばれた公家・二条家の屋敷の一部を明治時代のこの地への移転の際に時同じくして移されたもの。珍しい意匠の欄間や「御所写し」の引き手、京都画壇で活躍した画家・岸駒の門下生・岸連山による障壁画や板戸が公家屋敷としての面影を伝えます。(ちなみに二条家邸に関する遺構・石碑は相国寺の南西、同志社女子大学の門前にあります)

庭園は大きく分けて4箇所。まずは前庭と、建物に入って最初に見える中庭。そして下記の2つの枯山水庭園。

■方丈南庭
本堂の仏間から眺められる、白砂と苔の緩やかな築山による禅寺らしい枯山水庭園。
その中で目を引くのは向かって左右にある石造物。左手側の正方形の石造物は(その中に彫られている通り)西から昇る月を、右手側にある高い石塔が太陽を表しているそう。一見新しく見えるけれど最近のものではなく「昔からある」もの。

■書院前庭
本堂の北側、書院(※今回も非公開)の前に広がる庭園はまたタイプが異なる、苔庭を主体とした中に枯流れのある庭園。
南庭と比べて歴史を感じさせるこちらの庭園、本堂が移築された明治時代の作庭かなと思うけれど、当初は隣接する和敬学園の敷地までこの庭園が広がっていたとか。今回の展示の中に『大聖寺』(旧御寺御所)ゆかりの絵画の展示もあったのですが、なんとなく大聖寺庭園とも雰囲気が似ている。

この非公開の書院に掛かる扁額は「北禅書院」。これは前述の大典禅師が居処としたゆかりの名(大典禅師のニックネームの一つ)でもあります。

その他にも慈雲院に伝わる絵画・美術品や、“伝説の彫刻職人”左甚五郎の作と伝わる旧山門の一部などが展示。特別拝観中にぜひ訪れてみて。

(2024年2月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

京都市営地下鉄烏丸線 鞍馬口駅より徒歩6分
京阪電車 出町柳駅より徒歩20分強

〒602-0898 京都府京都市上京区相国寺北門前下之703 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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