聖護院門跡庭園

Shogoin Temple Garden, Kyoto

江戸時代、仮の御所にもなった皇室ゆかりの寺院の庭園にはかわいい石造物が…書院は国指定重要文化財。

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聖護院門跡庭園について

【特別拝観期間あり】
「聖護院門跡」(しょうごいんもんぜき)は“修験道”の総本山寺院。京都御所より移築された書院が国指定重要文化財、そして江戸時代には光格天皇孝明天皇が聖護院を仮の御所として住まわれたことから「聖護院旧仮皇居」として国指定史跡になっています。

聖護院。SNSでかわいい石造物の写真をずーっと拝見していたけどこれまで足を運ぶ機会がなく…2019年12月、特別拝観期間の最終日に訪れました!
以前は年間通じて拝観可能だったそうですが、近年は秋の特別拝観のみになったそう。なお冒頭の石庭と宸殿の外観については特別拝観の時期でも拝観可能です。この日もちょうど護摩行が行われていたのですが“月護摩”の際もおそらく石庭の脇を通ってお堂に向かう形。

ところで“修験道”って…修行で通る道の総称だと思い込んでたのですが、日本古来の山岳信仰+仏教により生まれた信教の名前(修験宗)だということを初めて知りました。よく言う“山伏”というのはその信者や修行中の人を指す。昔の山伏のみながみな山賊だったわけではない。

聖護院の創建は1090年。“門跡”とある通り皇室と縁深い寺院で、平安時代の終わりに後白河天皇の皇子・静恵法親王が入って以降、江戸時代が終わるまで代々(&大体)、皇室出身の法親王が入られた格式の高い寺院。

室町時代の応仁の乱など火災で何度か移転を繰り返した末(洛北岩倉行ったり、烏丸今出川行ったり)、現在地に移ったのは江戸時代初期・1676年。現在の宸殿などはその頃に建立されたもの。

国重文の書院は『京都御所』の女院御殿を移築したもの。庭園に関する情報は書かれてないので不明だけど…宸殿前の石庭も宸殿・書院の前の苔庭もその当時原型となるものが作庭されたのではと思います。苔庭は東山の借景も取り入れられて美しかった!(この日は曇ってたので写真だとわかりづらいけど…)

また江戸時代中期~後期の天明8年(1788年)と安政元年(1854年)に京都御所で火災が発生した際には、それぞれ当時の光格天皇、孝明天皇は聖護院を仮御所としました。宸殿の上段の間や書院には狩野派・狩野益信、狩野永納による障壁画も数多く残り、特別拝観時に鑑賞することができます。
ちなみに光格天皇は元々“聖護院宮”として聖護院に出家する予定だったところ、前任の後桃園天皇が崩御にあたり天皇になったという聖護院との縁が。

そして面白いなあと思ったのは九老の間にその障壁画(や仏像)の無料ダウンロードのQRコードが置かれていたところ。決して全域撮影可というわけではない(国重文の書院内部は撮影不可)ですが、教えを広める=シェアする、の精神が垣間見える。

お寺について説明すると歴史っぽくなってしまうけど、冒頭の写真の通り目が行ってしまうのはかわいい石造物たち。格式高いお寺の風景の中にこうしたものが少しあるだけでも、イメージが変わる(笑)ちょうどやってた護摩行のトランス感も面白かった!
リーフレットによると特別拝観時にも見られなかった非公開の茶室・茶庭もある様子。宿坊・御殿荘のお庭も気になる。いつか見たいなぁ。

(2019年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

京阪電車 神宮丸太町駅より徒歩10分
京都市営地下鉄東西線 東山駅より徒歩20分弱
最寄りバス停は「熊野神社前」バス停 徒歩5分

〒606-8324 京都府京都市左京区聖護院中町15 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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