泉涌寺 雲龍院庭園

Sennyuji Unryuin Temple Garden, Kyoto

“悟りの窓”も有名。国重要文化財“龍華院”や徳川慶喜寄進の石灯篭が据えられた石庭と苔の美しい枯山水庭園。

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泉涌寺 雲龍院庭園について

「泉涌寺」(せんにゅうじ)は“御寺”の呼称でも知られる、皇室の菩提寺“皇室香華院”で真言宗泉涌寺派の総本山。「雲龍院」(うんりゅういん)は南北朝時代に後光厳天皇により創建された泉涌寺の別院・塔頭寺院で、苔や紅葉の美しい庭園のほか、“悟りの窓”も有名です。
2021年11月、『泉涌寺御座所庭園』とともに約5年ぶりに拝観しました。

歴史について。後光厳天皇の勅願により創建されたのは室町時代/南北朝時代の1372年(応安5年)。その後も後円融天皇後小松天皇、江戸時代には後水尾天皇など歴代の天皇・皇室により信仰され発展。

その伽藍は一度「応仁の乱」で全焼するも、1502年(文亀2年)に後土御門天皇の御殿“御黒戸御殿”が後柏原天皇により寄進され本堂“龍華殿”として再建。この龍華殿と画家・土佐光信の作の後円融天皇像が国指定重要文化財。

江戸時代に中興の祖・如周宗師により南北朝時代の同タイミングで創建された『龍華院』と雲龍院が合併。江戸時代後期から再び皇室と縁深くなり、玄関・方丈・勅使門を、そして孝明天皇明治天皇の思し召しにより後光厳天皇・後円融天皇坐像が安置されている『霊明殿』が造営。

霊明殿と龍華殿の間にある石庭も有名ですが、中央に建つ石灯籠は江戸幕府15代目将軍・徳川慶喜が寄進されたもので、皇室ゆかりのお寺らしい“菊の御紋”を描いた砂紋も。

方丈・書院(大輪の間/蓮華の間/清浄の間)から正面に眺められるのが、苔と紅葉の美しい枯山水庭園。庭園に関する公式の解説はないのですが、苔で表現された大海の中に庭石や刈込の植栽で島が表現されている庭園。
左右に配された丸くて高い庭石は豊臣秀吉により建立された東山七条の『方広寺』の大仏殿の礎石と伝わり、だとすると現在の庭園の姿となったのは江戸時代以降かな。

そして境内の最奥、“悟りの間”の円窓“悟りの窓”も人気。隣にある“月窓の間”の床の間の三日月の透かし彫りも良い。春や秋にはライトアップもあり、四季の移ろいが味わえる京都の穴場庭園!

(2016年12月、2021年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR奈良線・京阪本線 東福寺駅より徒歩20分
最寄りバス停は「泉涌寺道」「東福寺」バス停 徒歩13分
京都駅から約2.5km(駅周辺・参道にシェアサイクルポートあり)

〒605-0977 京都府京都市東山区泉涌寺山内町36 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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